守るなんて大層なことを言ったけど、
結局僕が何かをするということはなくて、
その日はそのまま2人で手を繋いで帰りました。
僕も手を放す気はなかったし、先輩も手を振り解くことをしなかった。
先輩の手はとても優しくて暖かくて心地よかったけれど、なぜだか弱々しくて。
僕が手を放してしまうとどこかへ消えちゃいそうな気がしました。
「リンチ犯の特定か」
次の日、僕は早速行動を起こすべく信頼のおける人物、柳に相談することにしました。
柳を選んだ理由は知識・情報が豊富で中立的立場を崩す人間ではないから。
俺が鈴木さんのことを恋愛対象に見れないって言っても、あまり動じなさそうだと思ったから。
朝練中に柳を呼び止めて、相談開始。
鈴木さんのこと、先輩のこと、リンチのことを話すと、意外そうに「そうだったのか」と返してきた。
何に対しての返答なのか判断はつかなかったけれども。
「殴った人間を特定できそうか?」
そして柳にリンチ犯を調べてくれるよう『お願い』をしている。
柳はデータマン。
やる気を起こせば、この学校の人間のプロフィールだって作れそうな男だと思う。
だから、この程度の問題はお茶の子さいさい、だろ?
「別に出来ないわけではないが…」
言葉を濁す柳の顔には明らかに興味あります、と書いているかのような一種の高揚感が表れていた。
「何だよ」
興味本位なその顔に対して僕はムッとしてしまい、思わず低めの声で柳にドスをかけてしまいました。
僕は基本、人見知りですが、見知った相手の前だと態度が顔や動作に現れやすいです。
嬉しい時は素直に喜ぶし、悲しい時は泣く。
楽しい時だって大口開けて笑います。
今だってムッとしたから、自然と声が低くなってしまったのです。
と、言っても僕は元が高いから、低くしたって凄みは全くないんですが。
「気を悪くしたのなら謝ろう。すまない」
対象的に柳は大人の渋みのある声の持ち主。
感情もそう乱れることはないし、いつも落ち着いて物事を一歩後ろから見る傍観者タイプの人間だ。
柳を見ていると「大人」な人間と言うのはこういう奴の事を言うんだってつくづく思う。
こんな人間だったら先輩を守る方法なんかいくらでも知ってるだろうし、こういう事になる前に、きちんと事態を収集してるんだろうな。
頼り甲斐のある男だし。
「ただ、お前が女の事にこんなにも躍起になる事が珍しいと思ったんだ」
鈴木のことにせよ、あまり良く思ってはないようだったからな。
柳は苦笑いをして、僕を見ています。
全く、柳には敵いません。
彼は僕を含め大抵の人間が考えていることがわかるのでしょう。
柳は賢いし聡い。
だから、人の気持ちを理解出来るし、汲むことができる。
優しいだけの僕なんかより、ずっと出来た人間です。
「先輩は特別なんだ」
そう。
先輩だけなんだ。
僕がこんなにも尽くしたい、守りたいと思ったのは彼女だけ。失いたくないと思うのも彼女だけ。
「先輩だけだよ。こんな風に思うのは」
俺がこぼすように言った言葉は、しっかり柳に聞こえていて、彼の眉毛がピクリと動きました。
いつも瞳が頑なに閉じられているため、表情はほとんど眉毛でしか読みとれません。
今の柳の心情は、また驚愕した、という所でしょう。
「幸村」
「何?」
そして、彼は僕に言ったのです。
「好きなのか?その先輩が」
その瞬間、僕の頭の中はストップをかけられたように、一瞬だけフリーズを起こしました。
思考回路だけじゃありません。周りの空気もなぜだか止まったように思いました。
好き。
僕が先輩を
好き?
好きってどういうことなんだろう。
そういえば、鈴木さんも僕を好きだというけれど
具体的に僕の何が好きなのか。
僕が好きだからってどうしたいのか。
それを知らない。
小説やテレビなんかでは好きという気持ちに比例して、好意を抱いた人間に触りたくなるみたいだけど
僕は先輩に触れたいとは思わない。
ただ、先輩が泣いているところを見たくない。
先輩にはいつも笑っていてもらいたい。
そして出来れば。先輩がよければ、だけれども。僕の隣にいてほしい。
そう思うのは贅沢なのだろうか、贅沢なのかもしれない。
「ただ俺は、先輩の悲しんでるのを見たくないだけだよ」
そりゃ…手とかは多少なりとも繋ぎたいとは思うけど…それ以上のことは特に望まない。
先輩が側に居てくれるだけで、それだけでいい。
それだけで幸せなんだ。
僕の言葉を聞いた後、柳は普段見せない柔らかい顔で笑いました。
柔らかいんだけれども、どこか苦笑しているような。
困ったような笑い方です。
「それを『好きだ』と言うんだ」
柳は母親のように、諭すように僕に言いました。
「好きになるということは何も肉欲が芽生えるだけじゃないさ」
相手を慈しみ、相手の為になりたいと願い、相手の側にいたい。
「それが『好き』ということじゃないのか?」
柳の言うとおり…だとすると、僕は先輩が好きなのかな?
肉欲は特にないけれど、先輩といることで僕は安らぎを感じる。
でも、相手をいたわり、相手の力となることを望み、相手にも側にいてほしいと思うことはただの強欲、エゴだと僕は思ってる。
そんなんでいいの?
こんなにワガママな思いを相手に対して抱くことが、「好き」ということでいいのかな。
なんだか、よくわからないな。
僕は純粋に先輩の力になりたいだけで…上手く言葉に表せないけど、先輩の側で先輩を守っていきたいんだ。
ただ、それだけ。
「では幸村。俺が先輩とやらと一緒にいるとしよう。気分はどうだ?」
いつまでたっても煮えきらない僕に嫌気が差してきたのか、柳が僕に問います。
でも、あまりにも突拍子もないことを聞いてくる彼の顔と語調はどこか楽しそうです。
柳が先輩と一緒にいる、という状況がイマイチ想像しにくいのですが…
なんだか、考えるだけで胸のあたりがムカムカ気持ち悪くて、ズキズキ痛みます。
それ以上のことを考えると、柳が悪いわけでもないのに、怒りがそこはかとなく沸き起こります。
「……あまりいい気はしないなぁ」
「俺と先輩が手を繋いでいたら?」
「…イヤだな」
「それ以上のことは?」
「………柳のこと、友達として見れないかも」
ただの妄想なのに、柳がもし先輩とそういう関係になったら?
と思うと、本当、お腹の中がグルグルして柳を嫌いになってしまいそうです。
そういう風に思っちゃいけない、先輩の幸せを応援したいのに、いざ他人と目の前でいちゃいちゃされるのを考えると、腹が立って仕方ありません。
それと同時に胸もキュッと締め付けられる気分です。
「それが『好き』という感情の一部だ」
複雑な気分の僕に、そっと柳は言いました。
再び親が子に諭すように。
「恋愛に独占欲、嫉妬は付物だ。そして相手を常に思い遣り、守ってやりたい、幸せにしてやりたい、側にいてやりたい、という保護欲に駆られるのもれっきとした恋愛感情だと俺は考える」
なぜだろうか。
さっき例を挙げてくれたからかな?
柳の言葉の一つ一つに重みがあるように感じて、今までわからなかった物が解されるかのように、僕の中に浸透していく。
「お前は恋をしているんだ。その先輩以外の女子には何の興味も示さないだろう?」
徐々に語調ははっきりと、僕を奮い立たせるように変化して行きます。
「お前が抱いている感情は自然なものだ。けして傲慢でもなく、もちろん相手に対する依存でもない」
自信を持て。
その瞬間、僕の中で何かがふっきれた気がしました。
今まで僕は先輩に全てを頼っていた。
初めて会った時から、僕は先輩に依存していて、先輩の言うことが全てだと信じていた。
先輩の側にいたいとそのころから思っていたけれど、それは先輩が僕を一番理解していたから。
先輩に抱いていた依存から来るものだったんだと思う。
でも、先輩を初めて女性と意識した日、僕はまた先輩の側にいたいと思った。
でも、それは今までの依存から来るものじゃなくて、先輩を守りたい。
先輩の王子さまになりたい、という保護する者として側にいたいと思った。
また、先輩にもずっと僕の側にいてほしいと、僕に安らぎを与えてほしいと心底願った。
先輩と手も繋いだ。
柔らかくて暖かな手で、もっと繋いでいたいと思った。
先輩の泣き顔を見ただけで、ギュッと胸が締め付けられる。
先輩が笑っただけで心の中にロウソクが灯ったように暖かい気分になれる。
先輩は僕だけの王子さまであり、お姫さまでもあってほしい。
僕だけにその笑顔と、癒しを与えてほしい。
これが「好き」ってことなんだ。
誰にも先輩を取られたくないという、この独占欲も。
先輩を守りたい、という保護欲も。
醜い嫉妬も、先輩に関する感情全てが「恋」なのかもしれない。
「好き…なんだ。俺」
独り言のようにつぶやいた僕の言葉に、柳はまた気づき「好きなんだよ、お前は」と反趨されました。
なんだか、それだけなのにひどくこっ恥ずかしくも心の中がふんわり暖かく感じてしまいます。
好き。
先輩が好き。
好き。
この気持ちを大事にしよう。
こんなに暖かく照れくさくも、少しせつなくて心地よい思いは初めてだ。
少しずつこの胸に成った実を育てていこう。
僕は臆病だから、すぐに告白なんてできやしないし、しようとも思わない。
今はこの関係で十分だ。多くは望まない。
思わず笑みがこぼれ、好きだという気持ちが妙に照れくさくて、思わず側にいた柳の肩をバンバン叩いてしまいました。
柳は迷惑そうにもしていましたが、いつもの困ったような笑みで僕を優しく見守るかねように見ていました。
「では、その先輩とやらを襲った犯人とやらを調べておこうか」
苦笑まじりに言う柳の顔にも語調にも、さっきまでの疑うような雰囲気はなくて。
なんだか僕はうれしくなり「ありがとう」と言うお礼の声も自然と大きくなりました。
「そろそろ行こう。あまり遅いと弦一郎に怒鳴られてしまうからな」
「そうだな」
柳に促され、テニスコートへ踵を返したその瞬間
何かに足を引っ張られているような感覚がした。
いや、引っ張られるというより、影その物を縫いつけられているみたいな。
前に進みたいのに足が動かない。
さっきまでは普通だったのに、今はもう全くと言っていいほど。
足だけじゃない。首も肩も腕も指先も、顔の表情すら変えられない。
「幸村?」
柳の呼びかけに応えたいけど、口が開かない。
声が出ない。
て、いうか息が上手く吸えない。苦しい。
かろうじて動く瞼が下りるたびに、ハタっと苦しさからの涙が生まれる。
何なんだろう。何でこんなに苦しいの?
僕の体はいったいどうなったと言うんだろう。
そうこう思っているうちに、ゆっくりと僕の視界にうつる風景は美しく鮮明に色わ彩っていたのに、いつの間にか白い世界に飲み込まれてしまった。
柳の声が遠く、近くに聞こえている。
なんだか、急に先輩の笑顔を思い出した。
The prince meets a devil
この感覚はそう。
水の中に引きずり込まれる感覚に似ている。