鈴木さんを振り切って帰ったけれど、

結局は先輩と一緒に帰ることができなかった。

その日はがっかりして家に帰りました。









次の日、学校へ行くとなんとなくクラスの雰囲気が重く、


気にしすぎかもしれないけれども女の子たちの視線が痛い気がしました。










僕の考えすぎだったら良かったのですが、

その日のお昼休みに僕はクラスの女の子たちから呼び出され、お叱りを受けてしまいました。

要約すると

「鈴木さんの気持ちも考えろ」「無視して帰るなんてひどすぎる」

みたいなことを言われました。






たしかに彼女を振り切るように帰ったのは悪かったと思います。

でも、それを彼女たちに咎められる理由はない。

それに、根本的に彼女たちは僕の気持ちを無視していませんか?

それなのに僕に対して人の気持ちを考えろ、と言われても説得力に欠けます。

いったい彼女たちは僕にどうしろと?お情けでもいいから付き合ってやれと?

そんなことはしたくない。

自分の気持ちにしたがって鈴木さんを振り切ったというんです。

好きでも何でもない人間と付き合うなんてイヤだし、彼女だってそんなこと望まないはずだ。

女の子たちは僕にやいやいと文句をつけていましたが、

最後には鈴木さんを好きになれ、という言い方をされました。(なんてむちゃくちゃな!)

無理ですから。

人の気持ちなんか他人がどうこうできるものではないですから。

こういう人たちをなんて言うんだっけ。あ、たしか。










ウザい。











いつも暑苦しい真田よりもうっとうしく感じる。

真田は暑苦しいだけで、ネチネチしてないからな。

過ぎたことをほじくり返して、しつこく咎めるような人間じゃないし。

けれども彼女たちは自分のことでもないのに、僕を長時間に渡って罵る。いいかげんにしてほしい。

もうすぐテストだというのに。早くうちに帰って勉強したい。

成績は悪いわけじゃないけど、ノー勉で点数が稼げるほど賢くはないんだから。

結局、解放されたのは授業が始まる2、3分前で、ご飯も食べさせてもらえないまま、呼び出されたのでその後の5時間目、6時間目は死にそうでした。










が。

災難はこれだけではなく、僕の思わぬ方向にどんどん事が進んでいったのです。











放課後、日直だった僕が日誌を出しに職員室へ行ったその帰り道、先輩に出くわしました。

出くわした、というよりか先輩は誰かを待っていた、という感じで。

壁にもたれていました。

携帯を握りしめて、俯いてカチカチとメールでしょうか。打っています。











先輩!」










先輩に昇降口以外で校内で会うのは初めてで、会うなんて思わなくて。

嬉しくてつい、大きな声で呼んでしまいました。

先輩は僕の声に過剰なまでに反応して、いつになくわたわたと慌てていました。

慌てたついでに携帯を床に落としてしまわれました。

すぐに駆け寄り、先輩の携帯を拾い上げ、「どうぞ」と渡すと「ありがとう」と控えめな声で、先輩は礼を言いました。

先輩の手のひらは僕のそれより小さく、指は僕のそれより細く、今にも折れてしまいそうです。

しかし、それより気になるのは先輩の手に包帯が巻かれていること。

うっすらと血が滲んでいるのでかなり出血しているようです。







僕の手のひらにちょん、と触れた指は少し震えています。

先輩の顔を見ると、顔色が青白くなっていました。

それだけではなく、右目に眼帯をし、右頬には湿布、首にはコルセットが巻かれています。

口角や唇もケガをしていて、まるで事故にでもあったかのような姿でした。











「何かあったんですか?」












僕が先輩に尋ねた途端に、先輩は「えっ!?」とあからさまに驚き、目を泳がせ受け取った携帯をギュッと握りしめ、

足ぶみを始めたり、唸ったりなどいきなり挙動不審になっています。






「や、えっと…その…」









先輩は何か言いたそうに、でも言えない、そんな感じで口をもごもごさせています。

さらには僕をちらちら見て、ため息をついたり。

いつもは僕がため息をつくと「幸せが逃げる」と言っているのに。

切羽詰まっているみたいなので、「先輩こそ幸せが逃げますよ」なんて軽口、叩けません。

普段からニコニコ笑ってる先輩だけに、こんなに焦った表情を見ると不安で、心配で仕方がありません。

それに言葉に詰まるということは何かあったと断定していいと思います。








「溜めないで出してしまった方が楽ですよ?」












僕は先輩の力になりたい。先輩に必要とされたい。

先輩が僕を救ってくれたように、先輩の助けになりたい。

その一心で先輩に一言投げかけたのですが、先輩は黙ったまま。


僕ってそんなに頼りないのかな?

先輩の悩みに乗るには役不足かな?

そりゃ、何かと先輩のお世話になってるし、つい昨日だって相談したばっかだし。

先輩に弱虫で八方美人だと思われてても仕方ないこともしてる。

でも、僕は先輩を思う気持ちなら誰にも負けません。

先輩のためならおばちゃん押しのけてでもスーパーに卵を買いに行くし、先輩を乗せて勾配がキツイ傾斜の坂だって自転車で上ります。

満員電車で先輩をいろんな障害から守ってみせます。

一人で悩まないで。

頼らなくてもいいから。

先輩のつらいことは心の器から全部吐き出して、僕の器で掬ってあげますから。二人で一緒に悩みましょう。











「先輩が元気ないと俺、心配で心配でたまりません。お願いします」






なにがあったか言ってください。

先輩の震える両手を、大胆にも僕は両手で包み込みました。

僕の手よりも柔らかくて、小さな手。女の子の手。

その手の持ち主を苦しめるものは一体、何だと言うんだろう。

震える手と不安げな眼をする先輩はウサギみたいで、こんなにも先輩が小さな生き物だとは思わなかった。

先輩は僕が握りしめている手と僕の顔を交互に見ている。

驚いたみたいに、ぱっちり開かれた眼は時折ぱちぱちと瞬きをして、まるで寝かせたら眼を閉じ、起こしたら眼を開ける人形のようだと思いました。

しばらく、先輩は僕と手を見ていましたが、やがて沈黙を破り、こう言ったのです。










「………1こ『絶対、自分を責めない』って約束してくれるかな?」











と。

先輩がなぜこのような約束を取り付けたのかはしりませんが、承諾しないと話が前に進みません。

こくり、と無言で頷くと、先輩は静かに話し出しました。















今朝、先輩が学校に来ると靴箱に手紙が何通か入っていました。

それを開けてみると、すべて先輩に対する誹謗中傷が書かれていましたが、気にせず教室へ向かったそうです。

先輩が教室に着くと、教室の雰囲気ががらっと変わって、不審に思いながら、自分の席に着くと。








先輩の机はカッターで切り刻まれ、置いていた教科書類は引き裂かれ、そこにもまた先輩を非難する言葉が書かれていたのです。








先輩のクラスの人たちは加害者ではないらしく、嫌がらせを受けた先輩には友好的で、教科書を見せてくれたり、ルーズリーフをくれたりいろいろフォローしてくれたけども、









問題はお昼休み。

僕が呼び出されたのと同時刻に先輩もお呼びだしを食らったのです。

呼び出した人たちは先輩の知らない人らしいのですが、落ち着きのなさから下級生だと思ったようです。

実際、彼女たちは下級生で、しかも僕のクラスの女子だと思います。

なぜなら、先輩が呼び出されたその理由はあまりにも僕と親しいから。

昨日、僕が先輩を追いかけて行ったことを、鈴木さんから聞いたのか彼女たちに気づかれたのでしょう。

あれこれ僕とのことを言われ、先輩も言い返したけれども多勢に無勢。

一人が先輩を殴ったのをきっかけに、次々に襲いかかって来たらしいのです。

馬鹿馬鹿しく思ってた先輩でしたが、これはヤバいと逃げようとしたらしいのですが、文字のごとくボコボコにされたらしいのです。

彼女たちが去った後は、意識が朦朧としていてはっきり覚えてはいないけれど、通りかかった生徒に助けてもらったそうです。

そして今し方、病院から帰って来た、とのことです。










聞いた瞬間、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けました。

先輩はつまり、集団リンチに遭ったということです。

まさか。

僕絡みで先輩を傷つけることになるなんて。

傷つけたくないのに傷つけてしまった。

その事実に信じられない気持ちでいっぱいです。

先輩の衝撃告白に打ちのめされている僕を気遣ってか、先輩は力なく笑いました。

笑うと傷に障るのか、「あいたっ」と小さく呟いてゆっくり顔を戻していく姿は見ていて本当に痛々しい。











「すいません…」










僕の問題に巻き込んでしまった。

本来なら僕自身で解決しなければいけない問題なのに、結局は先輩に頼って、その先輩をケガさせてしまった。

僕は先輩に励まされてばっかりなのに、どうして僕は先輩を救うことが出来ないんだろう。

頼ってばっかじゃダメだってわかってるし、先輩に頼られたいって思ってるのに。

こんなんじゃダメだ。僕はダメダメじゃないか。

なんて無力なんだ。悔しい。こんな自分が嫌だ。

なにも出来ない自分が情けない。









「自分を責めないって約束したでしょ」










そうやってまた笑う先輩はいつもの先輩で、その笑顔があまりにもいつもと同じ優しい笑顔だったから、

それがとても暖かくて嬉しくて、涙が出そうだった。











「そうやってすぐ泣く。癖になるよ」

「泣いてないですよ」











精一杯の虚勢を張るけれど、やっぱり無理だ。

いつまで経っても泣き虫なままだ。涙こそ出なかったけれど、涙で視界がうっすらとにじんで行きます。

先輩は「仕方ないなぁ」とまたふわりと笑いかけてくれます。

顔をケガしているのに。痛いだろうに。泣きそうな僕を元気づけてくれる。





なんて優しい人なんだろう。

この人は僕みたいに誰彼かまわず優しくしない代わりに、誠心誠意を尽くして人に優しくできる人なんだ。

僕なんかのために相談に乗ってくれて、僕なんかのために殴られた。

僕は先輩になに一つしてあげていないのに。

ただ謝ることしかできない。











「幸村くんは何も悪くないよ。気にしないでね」












先輩はそう言うけれど、痛々しいくらいに巻かれた包帯や眼帯を見ると、罪悪感がどんどん湧いてきて、

自分の不甲斐なさに叱咤してしまいたいです。









「それにね。わたしも悪かったんだよ。ついカッとなって言いすぎちゃったから」

「え…」

「あんまり一方的に『幸村くんに近寄るな』だのうるさいから言ってやったの。『あんたはうちの母親か』って」








そしたらガツンと一発。








笑い話のように、ジャブを繰り出す先輩。

笑顔は依然、保たれたままで。本当はすごく辛いんだと思う。

一方的に殴られたら肉体的にも精神的にもキツいと思います。

笑っているのは僕を安心させるため。こんな時でも先輩は僕を労ってくれるなんて…。

でも無理はしないでほしい。つらい時は僕なんかより、自分を優先させてほしい。

こんな時も僕を励まそうなんて思わないで。











「無理しないで下さい」









思ったままのことを素直に言葉に出しました。








「先輩にとって俺なんか、頼りないかもしれないけど…もっと頼って下さい」












今だけは僕を頼って下さい。

でも、僕はあなたより弱いから毎日毎日頼られたら潰れちゃうかもしれないけど。

あなたは毎回頼ってきたりはしないでしょう?





たまには羽を休ませて下さい。一回や二回なら受け止める力は今の僕にだってある。

だてにテニス部部長をしてるわけではありません。

先輩がつらい思いをする分だけ、僕も強くなります。

先輩が毎日でも頼ってこれるよう、もっともっと強くなりますから。










「…ありがとう。大丈夫だよ」









いつもの笑顔で先輩は僕が差し伸べた手を、やんわりと拒否しました。

やっぱり僕は先輩にとって頼りないのか。

そりゃそうだ。

今まで散々、話を聞いてもらって泣いてるとこも見られてるんだから。

相談して下さいって直球投げても返って来るわけないか。

先輩の悲しみ・苦しみを取り除きたいと思って投げかけた言葉なのですが…無理だったようです。










「でもね」











突如、先輩が口を開きました。

先輩の顔は笑っていたけれども、どこかぎこちない笑顔で、無理して笑っているような気がしました。

先輩は力なく言葉を続けます。








「人がちょっと怖くなっちゃった」











先輩から出た言葉は予想以上に重い。

「ちょっと」と口では言ってるけれども、実際はかなり人に対して恐怖心を抱いていると思います。

自分は悪くないのにいきなり殴られて。先輩にしてみたら迷惑以外の何ものでもありません。











「あれだけ殴られたら、わたしが言ったことは間違ってるみたいに思っちゃうね」

「…先輩……」

「わたしはただ、他人が人のことをあれこれ言うのはおかしいって思っただけなんだ」






いつの間にか。

先輩はぽろぽろと思いの丈を話してくれていました。

先輩は今まで溜めていたものを吐き出すように、僕に言います。








「どうしてわたし、殴られなきゃいけなかったのかなぁ?」










先輩の顔から笑顔はすっかり消えてしまい、眉毛は少し頼りなさげに垂れ下がり、その表情は切なく儚くありました。

何も言えない僕。

元凶は僕にあるから、下手なことは言えない。

僕がいい加減な人づきあいをしているから、いま先輩はこんなにも傷ついている。

先輩の言うとおり、僕は鈴木さんにいい顔をしすぎた。

だから彼女が期待をしてしまった。

その中での昨日の出来事は、間違いなく彼女のプライドと気持ちをズタズタにしてしまった。

鈴木さんを傷つけたのも、先輩を傷つけたのも、僕に否がある。

でも、人の気持ちというものは、他人にコントロールされるものではない。

恋というものによって傷ついてしまうときもたくさんある。

だからといって、それを人のせいにしてグダグタ気持ちを引きずるのも、上手く行かないからって手を上げる行為はよくないと思う。

身体の傷は治るけど、心の傷は治りにくいんだから。

先輩はまた、僕にニコッと笑いかけ、「ごめんね。突然」と僕に謝罪しました。

謝るのは僕のほうなのに。こんな時にまで、僕を気遣ってくれるなんて優しすぎる。










でも、やっぱり先輩の傷は予想以上に深くて、僕を気にかけてはくれているけれど、優しい心を持っている人だけれど。

王子さまのような強い正義感と暖かい包容力がある人だけれども。

魔女の力には勝てなかったのです。











先輩の眼帯をしていない左目からは湧き出る泉のように涙が滲んでいました。

それを押し流すように、涙がはらりはらりとこぼれて行った。

僕のようにブワッと流すのではなくて、一粒一粒落ちるように涙を落とす先輩。

先輩の涙はキラキラ光る宝石のように綺麗でした。

先輩が僕の前で泣くのは初めてです。いつも弱いところを見せようとはしなかったから。

い人だと思っていた。

泣きながら先輩は、僕に聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で言いました。










「本当は…怖かったし…痛かったんだ…」











先輩の呟きは今までのイメージを覆されるものでした。

勝手にイメージを植え付けていた僕も悪いし、恥ないといけません。

弱々しく吐かれたそれは本音以外の何でもありません。

僕はなんて大きな勘違いをしていたんだ。

先輩は正義感と包容力を持っているし、しっかりした人だ。

でも、それはあくまで『人格』から見た先輩であって、その前に先輩は女の子。

いくら先輩の一挙一動が格好良くても、先輩は王子さまにはなれない。

王子さま「みたい」でも「王子さま」ではないんだ。本当は、お姫さまなんだ。









先輩がお姫さまなんだったら、誰が先輩を助けるの?

先輩が今まで僕にしてくれていたような「王子さま」には一体、誰がなるというの?

先輩の王子さまは一体誰?

僕がもし王子さまだったら、二度と先輩を悲しませたくないし、泣かせたくない。

先輩はいつものふんわりした笑顔が似合うし、笑っていてほしいから。

そして僕がまたくよくよしたら、また励ましてほしい。そうしてくれたら僕はまた、がんばれる。

あなたを助けることもできるんだ。














そうか。

僕は先輩の王子さまになりたいんだ。

弱々しくて頼りない僕だけど、先輩を守りたいんだ。

先輩の笑顔を守れる、頼れる王子さまに。

だから、こんなにも先輩のことを思うんだ。

















僕は先輩の手を取り、歩き出しました。

先輩の手のひらはやっぱり小さくて柔らかくて、僕よりも弱々しい。

この手でよく僕を守ってくれていたものだなぁ、と思います。

先輩はすごい。本当にすごい人だ。











「幸村くん?」










先輩がびっくりしたように僕に話しかけます。

泣き止んでいてもやっぱり涙目で、先輩は自分の白いタオルでまだ鼻の下を押さえています。

すんすん、と鼻をすする先輩は不思議そうに僕を見ていたけど。

それでも僕は先輩の手を握りしめたまま。放したくなかった。

先輩を手放したくなかったんだ。

僕の起こしたもめ事で僕から離れて行くのがいやだった。

これはただの僕のわがまま。

この手を放したくないなら、先輩をずっと守っていかなきゃならない。

先輩を守って行くことに抵抗はない。側に居るためには当然のことだから。

自己満足であることはわかってる。自分勝手だってことも。

でもイヤなんだ。先輩が泣くのも、離れて行くのも。













「今度は俺があなたを守ります」








僕が先輩にできることは守ってあげることだけなんだ。










僕は王子さまになる。

















A condition of the prince