The prince of the prince






ひたすら眠い。







そしてだるい。











毎朝、僕は長い時間をかけ、電車に揺られながら学校へ行きます。

片道1時間半の長旅、ご苦労様状態。こんな時、中学受験なんかするんじゃなかったと激しく後悔してしまいます。

でも、強豪テニス部があるこの学校でテニスがしたいと思って入ったのだから、贅沢は言っていられません。

せっかく立海の方から、入学してもいいですよ、とおっしゃってくださったのに、僕がそんな事を言うと罰が当たります。

落ちてしまった人にも不謹慎です。

入れてもらえただけでもよかった、と思わないといけません。











それでも長い時間、立ってガタンゴトンって揺られてるなんて無理。つらすぎる。しかも満員電車だし。

人混みが苦手な僕にとっては毎朝地獄です。

さらに、身体が大きくない僕は、いつも人の波に呑まれてしまいます。

成長期なのに、160cmもない身長の僕。

街を歩いている女の人よりも小さいし、小柄。まだまだ子どもなんです。

だから、朝の人の流れに逆らえなくて。

すぐに出口から遠ざかった、端っこの方へと追いやられてしまうのです。





ぎゅうぎゅうとカーブが来る度に、ところてんのように外へ出てしまうのではないのだろうか、

と心配するほどに、僕は押しつぶされて、窒息しそうになりながらも、毎日学校へ行っています。





僕に降り懸かる災難はそれだけではありません。押しつぶされる以外にも、人の接触があるんです。

僕の身体に「押しつぶされる」以外にも、「触られている」という感触があるのです。毎朝、お尻に。

人の手によって、やわやわと触られているような感触がします。

最初は僕の思い過ごしかな、と思っていたのですが、それが毎朝続くともなると「アレ」と決めつけていいと思います。

痴漢です。

最初はがんばって我慢していたのですが、日を追うごとに手の動きは激しさを増し、揉みしだくような時もあります。

気持ち悪くて吐き気がしそうで。

最初はお尻だけだったのが、どんどんあちこち、口では言えないような場所も触られ、毎朝苦痛に耐えています。






どうして僕だけが。






いつも泣きそうになりながら、必死になって僕は電車に乗っています。

周りの人は誰も助けてはくれません。ところてん状態からも、痴漢からも誰も助けてはくれません。

これが現実、これが社会なのでしたら、神様あんまりです。

満員電車は仕方ないですが、どうしてこう毎日、僕は痴漢をされるのですか?他に女の人はたくさんいるのに、どうして僕だけが?






「もう、イヤだ」






今日も僕は痴漢に遭っています。

いつものように、ぎゅうぎゅうにつぶされながらもお尻を触られ、足を、腰を撫でられ、もう気が狂いそうです。

今日は特にひどく、痴漢の手は僕のズボンの中にも入ってきます。

もちろん、僕はどうされるか大体想像がつきます。つくから、怖いのです。

今からされることに対して抵抗できる体格はないのに、今からされることに対する知識だけはある。

僕はこの時、「子ども」である事がとてもイヤだったし、頭だけが「おとな」に近づいていることに本当に腹が立ちました。

そして、誰も痴漢から助けてくれない事実が無性に悲しくなりました。







「…助けてください…」







誰でもいいから助けてほしい。

満員電車でつぶされること。

痴漢に身体を触られること。

電車を降りたらそれはなくなるけれど、それはわかってるけれど。





僕は毎朝、コレに乗るのです。毎朝こんなコトが続くと、僕は怖くて電車に乗れない。

もう、僕は電車が怖くてたまらない。どんな時間帯の時でも、どんなに空いていても。

僕は押されて揉まれて潰されては触られて。そうされるんじゃないかっていう妄想が膨らんでしまうのです。




誰でもいいから助けてほしい。
誰でもいいから僕を助けて。
本当に誰でもいいから








僕をコレから解放して。








本当に痴漢も人混みもイヤで、ぐちゃぐちゃになった僕の頭は機能しなくなって。

脳が身体をコントロール出来なくなったのか、思わず僕の眼から涙が落ちました。

涙がぽたり、と顎から落ちたその時、

僕の眼の前にヒーローが現れたのです。







「すいませーん、どいてくださーい」






人がたくさん居すぎるのか、くぐもっている声だけど、はっきりとわかります。

女の子の声です。女の子が大きな声を上げ、周りの人を押し退けて僕の側にやって来ました。

僕の隣にやって来たその子はニコッと僕に微笑みかけこう言ったのです。





「おはよ!」





女の子が僕に挨拶をして来ました。

途端に痴漢の手はヒュッと僕の身体から消え去りました。ほっとしました。

近くで聞く女の子の声は、大きくよく通っていました。キレイな声です。

一度聞いたら忘れられないような声なのですが、彼女の声に聞き覚えはありません。

ましてやその子の顔に見覚えすらないのです。

立海の制服を着ていますが、全く知らない子です。

唖然としていると、また痴漢が僕のお尻を触ってきました。

掴んだ、と言った方が正しいかもしれません。

「ひっ」と小さく僕は声をあげてしまいました。

いつもは撫でる.揉むなど優しい動きだったのですが、今のは抓るといった感じで不快感より痛みの方が勝ちました。

痛みにこらえていると、痴漢の手の変わりにお尻にいきなり固いものを押し付けられました。

それは、平たくてちょっとゴツゴツしたもの。目線を下に下げると、カバンでした。

カバンを持っている手が見えたので、そこから持ち主を辿ると、その主は僕に声をかけてくれた女の子だったのです。

その子は僕のお尻に自分のカバンを押しつけ、僕を痴漢から守ってくれたのです。

今まで助けてくれた人なんていなくて、今日やっと助けてもらえたこと、助けてくれたのが女の子だったこと、

その2つの事実にびっくりして彼女を見ると、その子はまたニコッと僕に笑いかけてくれたのです。








その子のカバンのお陰で、以降電車に乗っている間、痴漢が僕に触ってくるコトはありませんでした。。








「あたしこの時間帯に電車乗るの初めて」




女の子は大きな声でハッキリと、僕に聞こえるようにこう言いました。

僕をじっと見ているから、おそらく僕に話しかけているのだと思います。

僕はと言うと、初対面の人とお話することが苦手なので、「そ…そうなんですか…」と曖昧なお返事しか出来ません。

それでも女の子は僕に話しかけてくれます。僕を飽きさせないように、不安がらせないように。

楽しいお話をしてくれます。

お話をする中で、彼女の性格がわかって来ました。

彼女は明るくてサバサバした人です。竹を割ったような性格です。

一応、髪をお団子にしていたり、スカートを履いていて「外面」は女の子ですが、「内面」の女の子らしさはあまり感じられません。








そう感じる決定的瞬間が最後のカーブにさしかかった時。

僕はいつもここで圧縮された布団のように押しつぶされます。

そろそろカーブにさしかかろうという時、僕は眼を閉じました。

潰されてもいいよう体制を整える、と言った方が正解かもしれません。

が、今日僕は押しつぶされませんでした。

カーブに差し掛かっても、いつも感じる重みを感じませんでした。

眼を開けると、僕の前には彼女がいて、僕の顔の横には彼女の腕が置かれていて、その腕で少しばかり空間を作ってくれていたのです。

それが、僕が潰されなかった理由です。

彼女は僕が潰されないように身体を挺して守ってくれたのです。

周りの人の身体を押し退けて、僕が呼吸できるように少しだけスペースを作ってくれたのです。

ちなみに、彼女は僕より背は高いですが、特別高いわけでもなく、160半ばだと思います。

けして鍛えてはいるように見えない身体ですが、周りを押し退けられる力を彼女は持っていました。

この時、僕が抱いた彼女のイメージは「男前」で。男勝りなわけではないのですが、やるコトなすコトが本当に男前です。

僕を痴漢から守ってくれたり、不安がらせないように笑わせてくれたり、満員電車に潰されないよう守ってくれたり。

全部、男がするような行動ですが、彼女の起こした行動はけして嫌みではなく、むしろ男として尊敬に値します。

さり気ない行動が男前だ、と思ったのです。











ひょっとしたら「白馬の王子さま」とは彼女のような人のコトを指すのかもしれません。












「かっこいい…」










ぽそっと僕が呟くと、彼女はまたしてもニコッと笑って







「君も一年もしないうちにかっこよくなるよ」









そう言った彼女の声は爽やかで、笑った時に見える白い歯だとか、本当におとぎ話に出てくるような王子さまのようで。

僕はさっきから守られてばかりのお姫様。そして彼女が僕の王子さま。

絶望に打ち拉がれていた僕を救ってくれた。

僕に手を差し伸べてくれたのです。




僕も彼女が言うように、かっこよくなれるだろうか。彼女のように、誰かの王子さまになれるだろうか。








僕は今日、初めて会ったその子に尊敬と憧れを抱いたのです。








電車を降りた後、僕は勇気を出して彼女に声をかけました。










「あの!」








自分でも大きな声だったと思います。その女の子は僕の方を見て、「なに?」と笑いかけてくれました。

彼女の笑顔はキラキラしていて、お日さまのよう。









「僕、一年の幸村です!幸村精市!!」









形振り構わず僕は自分の名前を彼女に向かって叫びました。

お日さまのような笑顔を持つ、僕の王子さまに、僕のことを知ってもらいたかったのです。

だから僕は、水知らずの人に名前を教えたのかもしれません。

王子さまのような女の子は一瞬きょとん、としてからフワッと笑って。

その笑い方は優しくて、お母さんのような笑みでした。







「ユキムラくん。いい名前だね」



わたしは2年の











女の子、先輩は屈託のない笑顔で僕に向けてくれました。






本当に先輩の笑顔は爽やかでキレイで、僕な心はなぜかキュンっと一瞬高鳴りました。




今でもその高鳴りは忘れられません。












これが僕の王子さま、先輩との出会いでした。