「ちょお、お前。ガリガリ君買うて来いや」





何食わぬ顔で、息をするかのようにごくごく自然にそいつはわたしに命令した。ほんまコイツ、絞め殺したい。誰やねん。こいつのコトを王子とか言うて持て囃しとんのは。こいつのどこが王子様やねん。王子様って言うんは女の子に優しくて、物腰も柔らかで、困ったりピンチになったりした時にはすぐに駆け付けてくれて助けてくれるような、フェミニズムの固まりって決まってんのに。なんででしょうねぇ。今、眼の前にいる男は世間様では王子様って言われてはるのに、なんで微塵もそんな素振りが見えへんのでしょうねぇ。ねぇ!






「なんで、わたしがガリガリ君を買うて来なあかんの?」

「つべこべ言うな。さっさと行けや」

「っだ!」








痛ッ!うっわ、コイツ女の子のお尻に思いっ切り蹴り入れよった!腹立つなぁ…男の方が力強いねんから、ちょっとは加減してぇや!腫れたらどうしてくれんねん!わたしのお尻がこれ以上、大きなったらあんたのせいやからね!
忌々しい、という思いを込めてギロリと奴を睨む。何でわたしが、という文句も一緒に込めるけど、奴はそんなわたしの怨念隠ったガンを諸ともせず、つーか気づいとらんのか「ソーダとかコーラとか王道は買うて来んなよ。リッチのチョコチョコやで、リッチチョコチョコ」と、読んでいた雑誌(月刊プロテニスという雑誌にヤツの特集が組まれているらしい)から眼を放さず、わたしに向かって手をヒラヒラと、しっしっ、と追い払うように振っている。さっさと行けってことですね。そうですね。ほんま腹立つわ、このエセめ。エセ王子め。いつか罰当たれ。あんたのこと王子様やと思ってる子らにもみくちゃにされて死ね!あんたのこと王子様やと思ってる子ら同士の抗争に巻き込まれて死ね!





なんてこと口に出せたらどんだけいいか。わたしにはそんなこと、口が裂けても言えない。だって言うたら何されるかわからんもん。何か意見する時はプロレス技の一つどころか二つ三つ、や、十はかけられることを覚悟せなあかん。さっきの蹴りにしても、こいつは男のくせに平気で女に手ぇあげるからな。しかも手加減なしで。それやったら、実際口が裂けるわけでもないし、黙って指示に従っていた方が利口だ。




「ちょお、この写真の俺、めっちゃイカすし」と死語で自分を賞賛するヤツを後目に、苦虫を潰した感情をなんとかぶちまけることを堪えたわたしは、スーパーのワゴンセールで買ったうさんくさいブランドものみたいな長財布を手にして、厚ヤツがいる部屋(て、言ってもわたしの部屋に勝手にヤツが入って来て、くつろいでるだけやねんけど)を後にした。














白石さん家の蔵ノ介くん   










申し送れました。わたしの名前は。四天宝寺中学の三年生です。で、先ほどわたしに「ガリガリ君を買って来い」とお尻を蹴りなすったお方は、王子様こと白石蔵ノ介。同じ四天宝寺に通う格好良い男の子。……外見はね。外見『だけ』はね。
ヤツ、白石蔵ノ介、わたしは蔵くんって呼んでいるんだけど、蔵くんとわたしの家は隣同士。つまり、わたしと蔵くんはお隣さんで幼なじみってことになる。小さい頃からずっと、わたしと蔵くんは一緒で、いつでもどこでも何をするにしても一緒で、晴れの日も雨の日も雪の日も、離れることはなかった。

ちゃん、ちゃん」と手を繋いで歩いていた昔が懐かしい。あの頃の蔵くんは可愛かったなぁ。いっつもニコニコ笑ってて。お花が開いたみたいなかーいらしー笑顔で「ちゃん」って呼んでくれてたのに。若かりし日よ、どうかカムバック。何があったのだろうか、わたしの手を繋いでいたその小さな手は、今ではわたしの頭を叩くためにあり、わたしに歩調を合わせてくれていた足は、今ではわたしの身体を蹴るためにある。まぁ、容赦ないだけで喧嘩みたいに本気でゴスゴス叩いたり殴ったりされているわけではないから我慢できるけどさ。







で。






わたしに向けられていた本当に可愛らしくてもうキュンとしそうになる純粋無垢な笑顔は、今ではすっかり消え失せて人を見下すような嘲笑と変わってしまった。もうニコニコっていうよりもニヤリっていうの?今では左斜め上45°からバカにしたかのように鼻で笑いよる。その顔が憎たらしくて憎たらしくてたまらん。パイ投げの真っ白なパイを今すぐにでもその綺麗な綺麗なお顔に力一杯なすりつけてやりたいくらい憎たらしいったらありゃしない。





以前はもう一体全体、何があったの?と考え込んでしまうほどの、蔵くんの変わりように戸惑っていたけれど、しばらくするとその感情は諦めに変わり、そして今ではいわれもなく蔑まれることによって発生している苛立ちで、わたしはお腹いっぱい状態だ。
けれど、それはわたしの前でだけで、他の人に対しては極めて温厚で人当たりが良く、頼り甲斐のある男の子として通っている。左手に包帯をしている以外は(なぜ包帯?)特にこれといって目立つような格好もしておらず、成績優秀、スポーツ万能、品行方正と優等生に求められる三大原則を見事クリアしているので、先生受けはすごくいい。さらにつけ加えて、その誰もが振り返るルックスなので、女の子からの人気も非常に高い。で、わたし以外の女子生徒には非常に紳士的なので「白石くんって…まさしく王子様!」て言われ持て囃されている。





そのせいか、友達とかクラスの女の子からはしょっちゅう「さんって白石くんの幼なじみなんよねぇ」と羨望の眼差しで見られるけど、えぇことあるかい!あんたらはあのエセ王子の本性知らんから、そんな悠長なことが言うてられんのですよ。あいつは外で猫被っとんねん、猫!爽やかな王子様をただ演じてるだけ!人のおらんとこでは「んんーっ…絶頂…」て言いながら、鏡で自分見て悶えてるナルシストやねんで!ナル男ですよ、ナル男!




一度、「こんな姿の蔵くん見たら、何人の女の子が失望しはるんですかねー」と、わたしの部屋に置いてある全身鏡でポーズを決めながら、陶酔しきっている奴に聞いたことがある。(あいつの部屋には全身が見れる鏡がないので、うちの部屋に来てストレッチ&自己陶酔することがヤツの日課となっている。鏡くらいちゃっちゃと年玉崩して買えよ)すると奴は「ふっ」と鼻で笑ってから、こうおっしゃったのです。ええ、それはもう人を小馬鹿にしたかのように、顎をくいっと上げて目線は下に。笑顔っつーか嘲笑を浮かべて。「この俺がボロ出すはずないやろ」と。そして、わざわざ自己陶酔を止めて、鏡の前から勉強机で宿題をしているわたしの元へやってきて。それから机の上に腕を付き、体勢を低くして。わたしの顔のすぐ真横にその美しー(棒読み)お顔をスタンバイ。耳元に唇を寄せてこう言った。











「お前みたいなアホとちゃうんやから」











と。わざわざ耳元で言うたんは、聞き漏らすことのないようにしたんですね。そうですね。わかります。…て、おふざけになりやがるんじゃありませんことよ。
こんなんされたら一般女子は速攻でノックアウトだと思うけど、わたしは15年もヤツと付き合いがある。と、ヤツに対する免疫が出来上がっているのです。だから、ただ馬鹿にされた怒りしか感じないのです。この野郎、確かに成績はよくないけれども。お前みたいなワガママナル男にそんなこと言われてたまるか。結構ムカついたので、その後「アホで悪かったですねぇ」と頭を横に傾けて頭突きをお見舞いしてやった。それがちょうど歯に喰らったようで、ヤツは声にならない声で歯を押さえながら、わたしの部屋を釣り上げられた直後の新鮮な魚のようにビチビチとのた打ち回り、悶絶していた。自業自得じゃ、アホボケカス。石頭、なめんなよ。







とまぁ、口が悪くなりましたが、自分で言うだけあってヤツの性格は未だ外部には漏れていない。ヤツが部長を務めるテニス部の面々にはバレているようだけれども、部員が濃すぎるからナル一人どうってことないみたい。後、部員同士が仲良いから「しゃーないなー」みたいな感じでヤツのナルぶりを受け入れている。全員、キャパシティが大きいみたい。まぁ、あの人らは部活だけの付き合いやから?多少、変でも許容出来るよね。




でも、わたしはそろそろ限界。なんでヤツの買い物を一々わたしがしなくてはいけないんですか?ガリガリ君くらい自分で買いに行けっての。この前も、じゃがりことか、カロリーメイトとか買いに行かされたし。しかも、わたしの自腹!わたしが食べたいって買って来たものじゃないのに何故!?あまりにも理不尽すぎやしませんかね、白石さんよ。わたしには何一つ買ってくれたものはないのにー!!!…ちょっとだけ「親父にもぶたれたことないのにー!!!」を意識して言ってしまいました。ははははは。…はぁ。











はぁっ、とため息を一つついて、ガリガリ君への道を辿る。ちなみに家から近いガリガリ君が売っている店、つーかコンビニまでは歩いて15分はかかる。けど、ガリガリ君のリッチチョコチョコが売っている保証はない。つか、リッチチョコチョコってもう売ってなくないですか?どのお店に行ってもリッチプリンプリンか白銀ミルクしか売ってない気がするのですが。あのアホは何年前の情報を持ってるんでしょうかね。どこかで売ってるのを見たんでしょうかね。

で。もし、そのコンビニにガリガリ君リッチチョコチョコがなかったら(つか、絶対あらへんやろ)、さらに歩いて15分かかるスーパーに行かなくてはいけない。気が重い。なぜガリガリ君のために、蔵くんのためにわたしはここまでしないといけないのだろうか。ヤツのせいでガリガリ君が嫌いになってしまいそうだ。ソーダでもコーラでもなんでもいいじゃないか。なんだって、もう今は売ってないようなリッチチョコチョコを指定するんだ。チョコレートまでも嫌いになりそうだ。ガリガリ君にもチョコレートにも罪はないのに。







15分という時間は以外に短いもので、怒りながら歩いているとあっという間にコンビニに到着してしまった。考え事をしながら歩いていると、時間が経つのが早く感じられるんですね。でも、それがヤツに対する怒りっていうのが、どうも納得行かねー。もっと明るいことを考えて時が経つのを感じたかった。




コンビニの自動ドアがわたしのために開いてくれるのを見て、機械ですらわたしに尽くしてくれるのに、蔵ノ介のアホは何でやねん。なんでもうちょっと優しくしてくれへんのかなぁ、もう!と、さらに沸々と怒りがこみ上げてきた。蔵ノ介め、義理堅い名前しとるくせに何ちゅうヤツや。忠臣蔵もびっくりやわ。ええ加減にせんとおばちゃんにチクるぞ。や、おばちゃんに言うたらなんかジャイアンに逐一報告するスネ夫みたいであかんなぁ。そしたらどないしたらええんやろう。



妹に報告か?いやいやいや。あの子も基本、お兄ちゃんラブっ子やから言うたとこでわたしの株が下がるだけ。お姉ちゃんに相談するのもなぁ…なんか気が進まん。学校の子も蔵くんは王子様って信じてるから、信じひんやろうし…。て、どっちにしろ誰かにちくって何とかしてもらおうって魂胆があかん。スネ夫的発想やわ。あぁ、でもそろそろストレス爆発しそう。理不尽なこと言われて、蹴られて、殴られて。一体、わたしはあんたの何やねんと声高に叫びたい。思いっきりヤツを罵倒してやりたい。サスペンスに出てきそうな崖の上から、ポニョの主題歌に合わせて「くーらくーらくら隣の子ーどSの国からやって来たー」て歌ってやりたい。つまり、誰かにしゃべってストレス発散したいんだよう、この野郎。腹の中にためるのもいい加減疲れるんだよう。
あー誰かおらんかなぁ。わたしの知ってる人かつ、ヤツの本性を知ってる人で話をふんふん聞いてくれそうなナイスなヤツは。そうそうにそんなヤツ現れるわけがな









「あれ、







居た。









何、この神がかったタイミング。わたしってツイてる?や、ツイてるんやったら今現在、蔵くんによってこんな思いさせられてへんけどさ。それでも、蔵くんの下僕って扱いから脱出できそうな、最悪出来んくても気持ちを前向きに持って行くことができそうなこの状況、やっぱりツイてるといった方がいい。ああ、なんて晴れ晴れしい気持ちなんだろう!神様、ありがとうございます!わたしに大天使ミカエルを遣わし給われ、感謝感激です!そして感激したついでに大天使様のお名前を声高らかにお呼びしても差し支えないでしょうか?いや、もう我慢できません。我慢できないので叫びます。叫ばさせてください!




わたしは眼の前に光臨した人の形をした天使の名前を、天使様に縋るようにして、叫んだ。









「忍っ…だりぐんっ!!!!」










金色かつくせっ毛の天使の名前を呼ぶ途中、彼の放つ後光にでもやられたのだろうか。腹の中に抱えている感情が上へ上へと押し上げられ寄せて来た。それは、一瞬にして口から眼から鼻から飛び出したため、天使は眼を大きく見開き、わたしをギョッとした眼で見ている。
「何や、どないしたん」と関西弁バリバリの天使の問いかけと声によって、わたしの感情がさらに上へと吸い上げられる。まるで、天使の声はバキュームだなぁ、と漠然と思った。掃除機なんて生優しいものじゃなくて、わたしの感情のすべてを吸い上げていく。空っぽにしてくれる。眼口鼻というダストシュートから次々にわたしの感情は流れ出てしまう。



いきなり涙と鼻水を垂れ流し、「うわぁーん」と声をあげて鳴き始めたわたしに「うぉっ!泣くな、!」
と慌てふためきながらも、必死になって赤ちゃんのようにあやしてくれる忍足くん。その優しさに触れ、「もうちょっと忍足くんを見習え、アホの蔵ノ助め」と心の中で毒づいてしまった。












続く。