昔から、わたしは考えなしな所がある。

例えば、夏休みの宿題は範囲をちょっと見て、

「最後にパパッと片づけられるだろう」と踏んで前半遊びまくって後で泣きを見たり

ジェットコースターでも、大丈夫だろう、と乗ってみるものの、案外怖くて泣きを見るとか。

ハルくんをいじめから助けたのだって、ただ見てられなかったし許せなかったからで、

その後のことなんて何も考えてなかったんだ。

だから、次の日からわたしも一緒にいじめを受けるなんて思ってなかった。

ハルくんほどヒドいことはされてないし、イヤなことも言われてない。いやがらせ程度だ。

それでも、ほんの些細なことでもイジメに対する耐性がなかったわたしをノックダウンするには十分で、

人の悪意というものが怖い、と思った瞬間だった。







けど。






「大丈夫だから」






そう言って慰めてくれたのは顔に大痣作ってるハルくんで、

わたしなんかよりずっとヒドいことをされているのに、へちょいことされて打ちのめされてる

わたしを元気づけてくれた。

この時、子どもながらに「こいつ、すげぇわ」と思ったのは紛れもない事実。

ハルくんは当時から本当に優しくて、人間が出来た子だった。









「あのさぁ、ハルくん」






先日、ハルくんこと仁王雅治との関係を見つめ直したわたし、

は、ただ今、期末試験に向けて勉強中です。

本当は一人でする予定だったのですが、思わぬ邪魔が入りました。











そうです。ハルくんです。







いつも、ハルくんはわたしがしたいことが手に取るかのようにわかるようで、この間はケーキが食べたいな、と思った時にうちにやって来て、「、好きじゃろうコレ」とわたしが最も愛するシャルパンティエのケーキをくださいました。(つか、シャルパンティエって高いんだぞ)さらにその前は、太鼓の達人が欲しいなやりたいな、と思っていたら「が好きそうと思って」と太鼓の達人を太鼓ごと持ってきてくださいました。ついでに一緒にしました。わたしってそんなに透けてるんだろうか、というくらいに彼はわたしを理解しているのだ。









今回も同じように、ハルくんがうちにやって来たのも






が数学で困っとると思って」






と、ニコニコ顔。
こいつはなんだ。エスパーか。エスパー伊東なのか。
本当になんでわたしが数学で困ってるっていうか、降参状態にあることがわかるのか、さっぱりわからん。
わたしの部屋に監視カメラでも付けやがった、としか思えない。










「ん?もう説き終わった?」










わたしの呼びかけにやんわり笑って答えるハルくん。いつだってハルくんはわたしに対して優しく笑いかける。わたしが何を言っても、何をしでかしても、微笑んでいるだけだ。

中2のとき、一次関数がさっぱりわからなくて泣きついた時も、理解が足りないのかどんなに勉強しても全然わかんない自分が悔しくて大泣きした時も(こんなことで泣くなよな、わたし)ハルくんはずっと側を離れず、ずっと優しく励ましてくれていた。











「んー…まだ、だけど」

「ん?何じゃ?」










どこがわからん?









テーブルを挟んでわたしの向かい側に座っていたハルくんは、身を乗り出すように問題を見る。その瞬間、首周りが広くなっているハルくんの白いロンTから、ハルくんの鎖骨が見えた。わたしみたいに贅肉が乗ってなくて、骨ばっていて、水を入れると溜まってしまいそうな。鎖骨から目線を逸らしてハルくんの喉を見た。ハルくんの喉にはぽっこりと出っ張りがある。喉仏だ。ハルくんが喋るたびにそれはわずかに動く。わたしにもそれはあるけど、ハルくんほど見えるものではない。ていうか、ハルくんの首、けっこう太い。ハルくんは華奢で、ひょろりとしたイメージがある。けれど、実際近くで見ると、細いことに変わりはないんだけど、なんかゴツい。肩もカクカクしてるし、わたしの教科書をさしている人差し指だって、鋭い顎も、通った鼻筋も。







みんな、わたしは持ってないなぁ。






特にさっきも言ったけど、首は以外だった。まさかこんなに太くてしっかりしてるとは思わなかった。わたしとどのくらい違うんだろう。なんか測ってみたくなってきたなぁ。確か左右の親指と中指で作った輪っかが首の太さだから、わたしの首の太さは…











「聞いとる?」

「え」











ぼーっと考えていたら、ハルくんに顔を覗きこまれた。ハルくんの顔が近い。端正な顔は見慣れてるけれど、間近で、しかも上目、さらにメガネ装着で見られることは滅多にない。ハルくんは眼がそんなによくないので、勉強するときはメガネをかけている。メガネをかけると、ハルくんの色気はなぜか倍増する。昔はそんなことなかったのに、中学に入ってから工場で大量生産しているかの如く、フェロモンをプンプン出すようになった。小学校の時もかっこよかったけど、色気なんかなくて、ただ可愛い男の子だったのに。いつからそうなってしまったんだろう。












「今日は何考えてたん?」











わたしがトリップするのは日常茶飯事なので、ハルくんはクスクス笑ってわたしの話に耳を傾ける。ハルくんは昔から大口開けて笑わない。ハルくんがおなか抱えて爆笑するのなんて、想像もつかない。いつもいつも育ちのいいお嬢さまのように、微笑むように笑う。テレビを見てバカ笑いしてた時、親にハルくんを見習えと言われたほどだ。そのくらい綺麗に笑うのだ。











「ハルくんの首、ぶっといなぁ、と思って」

「首?」












呆気に取られたようにハルくんはわたしが言ったことを返して来る。






「わたしの首とどのくらい違うのか、考えてた」






親指同士と中指同士で輪っかを作ると、それが首の太さになるんだよ、と輪っかを作ってみせると、ハルくんもちょっと考えて、一緒に輪っかを作ってくれた。ハルくんは、わたしがわけのわからない事をしても、絶対に付き合ってくれる。他の人だとこうはいかない。









「…やっぱハルくんの輪っかはデカいね」

とは根本的に体格が違うからのう」













確かに。まず身長は軽く見積もっても10cm以上は違うし、足のサイズも違う。首だけじゃなくて、腕も、足も、ハルくんの方が太い。やっぱり華奢でも、男の子なんだなぁ。





と、感じる反面。やっぱり、もとが同じような体格だった分、なんか置いてけぼりを食らってかつ、負けてる気がしてくやしい。







「…ハルくんは、どんどん大きくなってくね」







わたしなんかをほっぽって、どんどん前へ進んで行く。格好いいし、テニスも上手いし、女の子からもモテモテで、男の子からも好かれてるハルくん。昔は肩を並べて歩いていたのに、今ではハルくんがどんどん前へ行ってしまっている。日の光を一身に受けて有名人の階段を駆け上がる。

かたやわたしは、ハルくんの行動一つ一つで、まわりの印象も違ってくる。ハルくんがわたしの人生を大きく動かしている。「」という個人は「仁王雅治」という人間によって、存在が霞んでしまっている。




学校での存在価値はハルくんの存在に呑まれてしまっている。





このことについて、前に考えてから、度々思い出しては嫌な気持ちになる。ハルくんは悪いわけじゃない。周りの子も悪いわけじゃない。悪いのは…どんどんマイナス思考に呑まれていくわたし。考えれば考えるだけ、深みにはまってしまう。そんなこと、わかってるけど。やっぱり、わたしという個人を見て欲しい。そう思うのは欲張りなことなのかな?








「成長期、じゃからのう」






輪っかをまじまじと見つめながら、ハルくんは「まだ伸びとるって、ええ加減ストップしてくれんと、服が追いつかん」と苦笑いをして付け足した。

ハルくんは本当、大きくなった。色んな意味で大きくなった。わたしの後ろを相変わらず今も着いて来るけど、わたし以外にも大事な友達はいるみたいだし、前みたいにいじめられることなんかなくなった。勉強もスポーツもわたしなんかより出来るし、人望だって。









何をやっても上手く行くくらいの器用さを持っている。本当に大きな人になった。






「ねぇ、ハルくん」






だから、わたしなんかいらないでしょう?

わたしはハルくんと違って小物だし、パッとしないし。君とはただの幼なじみだよ。わたしと一緒に居てもメリットなんか何もないよ。

むしろ、わたしがハルくんから離れないと。わたしがダメになってしまう。わたしは人に頼ることが好きじゃない。確かに、何度もハルくんの優しさには救われた。ハルくんを助けたついでに、わたしも嫌がらせを受けた時も、ハルくんは自分もつらいのに、わたしを気遣ってくれた。ハルくんは優しい本当にいい子だよ。変な頭と喋り方してるし、ちょっとナヨッともやしみたいなとこもあるけど、本当にいい人だよ。






でも、わたしは。








わたしは「仁王雅治」のオマケじゃない。

人から「」として見られたいんだよ。








「わたし、外部受験することにしたの」



穏やかに笑っていたハルくんの顔が、一瞬のうちに凍り付いた。














Even if time to spend now is momentary happiness

(束の間の幸せだとしても)