テニス部恒例の「放課後お呼びだし」。

テニス部は全国区という事もあるのか、顔のいい俺や柳生、幸村だけじゃのうて、あのむさ苦しい真田やハゲのジャッカルでさえたまにじゃが、呼び出されとる。

(呼び出される頻度が少ないからか、その後の二人の喜び方は尋常ではない)

俺は平均すると週に3回のペースで、こうやって練習前に「お呼びだし」をされとる。

正直言うと、うっとうしいことこの上ない。

俺は元々、群れるんが嫌いなんじゃ。

試合はともかく。練習してる時の応援とか、恭しく渡される差し入れとかに対して有り難いなんて思わん。

や、有難いとは思わんっていうのは語弊があるか。

何と言うか、簡単に言うと「貰っても困る」ってことなんじゃけど。

差し入れをするんも、応援をするんも俺に喜んでもらうため、ご機嫌取りの手段、要はただの自己満足じゃろ?

自分のエゴや気持ちを押し付けられても、俺がそれを受け取るなんて無理じゃ。

だから、告白されんのも好きではない。

相手の都合で呼び出されるこっちの身にもなってほしい。

自分のことしか考えとらんから、呼び出したり告白したり、めんどくさいことが出来るんじゃろう?








て、こんなことを思っとるなんて言えるはずもなく、言ってしまうと全校中の仁王ファンが涙を流してしまうからのう。

ファン有りきのテニス部じゃから、出きるだけ女の子を大切にせんといかんけぇ、俺の真意は悟らせんようにせんと。

強引に付き合いを強制してくる奴はともかく正直、知り合いや大人しめの子に告白されたらものすごく断りづらい。

ましてや断った途端に急速に元気がなくなったり、泣き出してしまったらどうしていいか正直わからん。

俺が悪いっていう罪悪感が芽生えてくる。

女の涙っつーんは卑怯じゃ。男の弱みにつけ込んでくる。

だから、俺は人前で泣くような女の子は苦手。

泣くなとは言わん。ただ、困らすようなことはせんでほしい。泣くなら俺のおらんとこで、ひっそりと。

俺も断るんはやっぱりつらいし、泣かれるのはそれよりもつらいんよ。

けど、俺は別に悪いことはしとらん。

じゃって、向こうが真剣に言うてきてんのに、俺がなぁなぁに「よろしく」って言うんはよくない。

失礼にあたるけぇ。真摯な態度には真摯な態度で返さんと。








今回、指定された場所は音楽室。

防音がされているその教室内からは、かすかにピアノの音が聞こえる。

俺は音楽についてはよくわからんが、これは聞いたことがある。電話の保留音でようあるヤツ。

重い扉を開けると、ピアノの音が耳に飛び込んできた。

静かな曲、さほど五月蝿くはない綺麗な曲。

目線を上げると、グランドピアノに隠れるようにして人がおる。

ここからだと、足しか見えんが、足の細さとそこからはかとなく漂ってくる雰囲気からして俺が苦手なタイプの女の子じゃと思った。

がちゃん、と扉を閉じるとピタッとピアノの音が止まった。

俺が来たことに今まで気ぃついとらんかったんかもしれん。

向こうがすくっと立ち上がった。

ピアノをひいていたその子は、やっぱり俺が想像していた通りの子で、見てからに大人しそうな子だった。

正直、やりづらいし断りづらい。











「はじめまして」







向こうが俺に向かって声をかけてきた。

うっすら浮かべている笑みは上品で、繊細なものを感じた。

礼儀正しいお嬢さんって感じじゃろうか。

ぺこっと頭を下げると、その子は満足そうに笑って「こちらに、来て頂けませんか?」と俺に頼んできた。







その子の側に近寄って分かったことは、その子はただ優しく大人しい感じのお嬢さん、てわけではなく、

何かしら威圧される強さみたいなもんを感じた。









「ご紹介が遅れました。わたしはです。どうぞ、お見知りおきを」







…なんか女版・柳生みたいなヤツじゃ。

こんなバカ丁寧なしゃべり方、今時おらんぜよ。

最近の女の子は口が悪い子ばっかりじゃて、この子さんみたいな子は珍しく、なんか新鮮に感じた。









「で、俺に何のようじゃ」





ちょっと、つっけんどんに返してしもうたかもしれん。

他意は無いんじゃが、大人しそうなさん、傷ついてしもうたかのう。






俺のそんな心配も、杞憂のようで。

ニコッと笑って「わかっていらしてるのに。案外、意地悪なんですね」と言った。

口調が丁寧なだけあって、なんかガキ扱いされとる気がする。

ひょっとして、俺。なめられとるんかのう。

人は見かけによらず、さんも見かけによらず、じゃ。










さんは依然として笑ったまま、サラリと「わたし、仁王くんが好きなんですよ」と、呼吸をするように、さも当たり前かのように俺に言った。

今まで体験してきた告白劇の中で、実に淡泊で時間の短い告白だった。

唐突な告白に呆気に取られ思わず口が開いてしまった。「へ?」と情けない声まで出てしもうた。

さんはニコニコとしたまま「仁王くんって面白い方ですね。意外です」と嬉しそうに笑ってる。




初対面なのに、なんか俺さんに翻弄されとる?

まさか、こんな風に開けっぴろげな女の子じゃと思っとらんかったって。

普通なら俺に気に入られようと多少は猫被るじゃろうに、なんでこの子は…こう…







あー!上手く言えんが、なんか別の意味で苦手じゃ!

この子とおるとなんか落ち着かん!さっさと返事して帰ろう。





「すまん」と頭を下げる。

が、さんは依然ニコニコしたまま。気持ち悪いくらいニコニコしたまま。

泣かれるのも困るけども、断られてニコニコ笑ってられるのも何考えてんのかわからんけぇ、ええ気はせん。








「妥当なお返事、ありがとうございます」








さんはぺこっと俺に頭を下げた。

その「妥当な」て所にひっかかるもんがあるけれど(妥当って…断られるってわかっとったんか)わかってくれたみたいで、

ひとまず安心じゃな。








が、しかし。








「で、ここからが本題なんですけれども」









さんはニコニコと、とんでもないことを言い出した。

本題?今のが本題じゃなかったんか?

告白するんが目的じゃなかったんか?

一体、本当の目的って何じゃろう

何言われるんじゃろう。









「用はこれだけじゃあ、なかったんか?」

「断られる、とわかってて告白をしても何もメリットはありませんから」











わたしはズルいんですよ、と悪びれずに言うさん。

…外見とは裏腹に腹黒いと来たか。柳が好きそうなタイプの子じゃな。

この子に口で勝とうとしても無理じゃろう。

今まで告白して来たような子とはタイプが完全に違う。

どの子よりもタフで手ごわく打算的。

けれども、俺にフラれることも予想しとったから、どうして断るんか、なんてアホみたいなことを聞いて来んし、

フラれたからと言うて落ち込む素振りもない。

いつも感じるこうした「粘り気」みたいなんを感じんからか、多少理不尽なことを言われても、そこまで困らん。






とりあえず、さんの「本題」が何なんか聞くだけ聞いてみよう。そこから考えればええ。








「で…本題は?」

「ハイ。実はお頼みしたいことがあるんです」











そんなことじゃろうとは思っとった。

さんの表情は相変わらずニコニコしとったけど、そこにキラキラしたもんが加わった。

それは恋をしとる女の子特有の輝き。

何やかんやで、さんは俺を好いとるってことがようわかる。




さんは両手を口元に合わせて、ちらりと俺の眼を見た(しかも上目遣い。意外と可愛い)

人の眼を見て話すって言うんは相手に自分の思いを伝えるためにはええことじゃ、と思うけれど、

いざ自分がそうされるとどうしたらええか、全くわからん。照れくさくて、恥ずかしくて。

くすぐったくて。眼を逸らしたくなる。











「わたしに仁王くんの時間を戴けませんか?」








さんがはっきりとした口調で俺にそう言った。









「じ…時間?」









俺の時間が欲しいとは、またなんてファンタジーな。

タイムスリップでもしたいんか?一体、さんは何を言いたいんか。俺にはわからん。

眉をしかめて首を傾げると、さんは苦笑した。

その笑い方がなんとなくガキ扱いされているみたいで、イヤだった。

「そうやって笑うな」と軽く拗ねてみせると、さんはまたニコニコとさっきよりも楽しそうに笑って「すみません。不謹慎でした」と謝った。









「今日が終わるまでの、仁王くんの時間を貰いたいんです」








しかし、さんが言い直した所で俺にはなんのことかさっぱりわからん。

理系人間の俺に、さんのような文系的言い回しは通用せん。

単刀直入にはっきりと、すぱっと。何を頼みたいんか言ってくれんと、頭の悪い俺ん頭では言葉が飲み込めん。

しばらく沈黙が流れとったけど、何の反応もない俺に痺れを切らしたのか。六畳さんが口を開いた。








「つまりは……明日が来るまで、一緒に過ごしてくれませんか?ということです」









女の子に恥をかかさないでください、とさん。

その顔は意外にも真っ赤で、顔にフライパンを載せて目玉焼きでも出来そうなくらい。

さっきまでとは別人のように、純情な女の子のようにギュッと眼を閉じて、唇を噛みしめて、拳を握って。

さっきまでの打算的な雰囲気は一切無く、普通の女の子だった。








せっかく遠回しで言うてくれたのに、その真意に気づけんった俺ってデリカシーないのう。

経験からして以外にも女の子は男と同じくらい照れ屋さんじゃけぇ、

フラれた男にこんなこと言い出す方が好きって言うよりよっぽど勇気のいること。

さんは勇気ある子じゃ。そんで、強い子。

でも、女の子であることに変わりはないから、そこは反省すんといかん。

けれど。








「付き合ってもおらんのに。そんなことはできんよ」







今日1日だけ、と言われても。

何とも思っとらん子に「今日一緒に過ごす」とか、付き合っているかのような真似事は俺にはできん。

そういうことは本当に好きな相手ができたときにしたい、と俺は思う。

何もさんが嫌いなわけではない。

けれど、さんを許せば他の子に対する示しがつかん。

他の子に対してもそうせんといかんようになる。










俺の答えを聞いたさんは、真っ赤な顔をしたまま表情を変えた。

俺の返事を緊張しながら聞いとった普通の女の子から、またニコニコ笑う打算的な小悪魔の顔に。

さんは「そうですか。わかりました」と言って、ぺこりとお辞儀をした。

「お時間取らせてすいませんでした」と一言添えて。










「本当にすまん」








さんに対して今まで以上の罪悪感が芽生え、彼女に向かって頭を下げた。

俺が何か悪いことをしとるわけでもなければ、さんが悪いわけでもない。

それでも謝らんといかんと思った。

彼女を傷つけたことに対する懺悔なんか、自己満足なんか。それはわからんけれども。








「わたしの我が儘ですから。気になさらないで下さい」









さんの声がかすかに震えた気がした。

頭を上げて、さんの顔を見ると、相変わらず笑っていて。でも、







泣いていた。






顔は笑っていたのに、眼からはとめどなく涙が溢れ出して止まらない。嘘をつけんのだと思う。







それを見た途端、俺も悲しくなって来て、だんだんさんが見えんようになってきた。

鼻の奥がツンとして、視界が滲む。











「泣かないでください、仁王くん」







さんの言葉で初めて自分が泣いとることに気づく。

いや、まだ泣いとらん。ちょっと眼がうるっと来とるだけじゃ。

ゴシゴシと眼を拭って、鼻をすする。

けれども、なんか知らんけど涙も鼻水も止まらんで、仕舞には嗚咽まで出てきよった。







「わたしが泣かせたみたいじゃないですか」

「泣いとらん!鼻水じゃ!」









さんに虚勢を張ってしもうて、ものすごくみっともないぜよ、俺。

もうとうに泣いとるって見破られとるのに、情けない。

人の前では泣きとうなかった手前、穴があったら入りたい気持ちで一杯じゃ。

泣いとるんを隠すために俺は手のひらいっぱいに自分の顔を覆い、そのまましゃがんでうずくまった。

さんも俺の隣にしゃがんだ。嗚咽を殺そうとするけれど、どうしても完全には消し去れない。

その度にさんは俺の背中を優しくさすった。







「仁王くん。わたし、『ここ』から居なくなるんですよ」







さすりながらさんは言った。






「だから、わたしが好きな仁王くんとの思い出が欲しかったんです」







ここからじゃと、さんの顔はわからん。

けど、さっきより声が張っていて、割と元気そうだった。









「けれど、仁王くんを困らせるだけでしたね」








すみません、と謝るさんに「そんなことない」と言いたかったけれど、嗚咽が声に絡まって上手く話せない。

さんが「ここ」からおらんようになる、俺との思い出がほしかっただけ、って言うんなら、

ひょっとしたらさんは俺に二度と会えんような所行くんかもしれん。

じゃから俺が断った時も泣いたんじゃ。

やましい気持ちなんかなくって、本当にただ俺との思い出が欲しいだけなら、俺は。









「ええよ」










やっと出て来た普通の声、涙を拭って鼻をすする。

今度はちゃんと一回で止まった。嗚咽も少し残るけど、さっきよりはマシじゃ。








「今日一日、さんに付き合っちゃる」








腫れて上手く開かん眼でそんなん言うても格好つかんかもしれんけど。

さんにとって俺との思い出が今後に続いて行くんなら、それでええ。

さんは眼を大きく開いて(なんで女の子言うんはこんな眼が大きいんじゃろうか)嬉しそうに、

今日見せてくれた中で一番かもと思う笑顔を見せてくれた。

「ありがとうございます」と無邪気に笑うさんには、下心とかやましい気持ちなんかも見られんで、

やっぱりどっかへ行ってしまうんは本当なんじゃろうか、と思うと無償に寂しくなった。









「でも、お気持ちだけで十分です」









さっきと何等変わらん嬉しそうな笑顔でさんは俺の申し出を断った。

さんがええならそれでもええが、なんか釈然とせん。

そんな俺に気づいたのかさんはクスクスと笑った。







「仁王くんはもう、わたしに時間を与えてくれました。仁王くんと2人っきりでお話する機会も、『思い出』も」









『思い出』と言いながら眼から頬にかけて人差し指で「涙」をなぞる仕草をするさんは楽しそうで、満足そうで。

俺としてはそういう思い出は一刻も早く頭の片隅に追いやって欲しい所じゃが、さんが喜んでいるようなのでよしとしておこう。








「仁王くんのお陰で気兼ねなく『いく』ことが出来ます」








本当にありがとうございました、と大したこともしとらんと言うのに礼を言ってくるさんは本当にええ子やと思う。

きっとこれから大人になって、結婚する頃になったらえぇお嫁さんになること間違いなしじゃな。









「俺も。ありがとう」







さんみたいな子は初めてじゃて、色々勉強んなったし、話せて楽しかった。それに。

さんみたいな裏表のない子、俺は結構好きじゃ。

もう少し違う所で会っとれば、ひょっとしたらさんの望む形に収まっとったかもしれん。

そんなことを悔やんでも過去のこと、どうしようもないんじゃけど。








気持ちも落ち着いてきた頃。西日は完全に傾き、そろそろ部活に行かんと、真田に怒られるけぇ、

そろそろさんともお別れせんといかん。

もうちょっと喋っときたかった気持ちもあるけれど、真田のビンタと体罰はキツいからのう。

お仕置きされんうちに行かんと自分の身がどうなるかわからん。






「じゃあのう。達者にな」

「はい。仁王くんも」








さんに背を向けて、音楽室を出ようとドアノブに手を伸ばした瞬間。







「仁王くん!」







と、突如さんが声を荒げる。その声は聞いたことがないくらい大きな声で、思わずびっくりして後ろを振り向く。

さっきまで嬉しそうにしとったさんじゃけど、今にも泣きそうなほど顔を歪めて。

ぽつりと。小さな声でこう言った。











「わたしのこと、忘れないでください」















これが、俺が聞いたさんの最後の言葉じゃった。


















「ここ」から居なくなる