「女という生物は男に依存しないと生きて行けない」
そう言ったのは、同じクラスの木手くんで。木手くんの眼はわたしを真っ直ぐ射抜いているにも関わらず、その眼には何も映し出されてはいない。
かと言ってわたしを映し出さないくらい濁った色をしているわけではなく、むしろ澄み切った色をしている。
彼の眼が澄んでいるのは彼は嘘をついておらず、本心をわたしにぶちまけているから。
それでもわたしの眼に彼が映らないのは、わたしなんか眼中にない、興味なんて微塵もないからだ。
彼の眼一つで、このような、わたしにとって絶望的な事実が在り在りと理解出来た。
「よって、女は男を満たすことでしか、存在が認められないんですよ」
そう言った時の同じクラスの木手くんの声は氷のように冷たくて、恐ろしいものだと思った。
何から話せばいいかわからないから、わたしのバックボーンからお話しようと思う。
わたしは、けして派手派手しい子ではない。けれども、グループで言うなら「ギャル」と呼ばれるグループに入っている。
かと言って、他の子たちと違ってぎゃんぎゃん騒ぐタイプではない。確かに、わたしの見た目はけばけばしいかもしれない。でも、これはただ周りの友達がやってるからであって、その子たちの輪の中から省かれないようにするための手段なのだ。毎日、朝早くに起きて一重の瞼にアイプチを、短いまつ毛につけ睫毛を、下地にファンデーション、もちろんラインやマスカラだって忘れない。髪も毎朝、アイロンで巻いてからやっと登校する。
格好からして、どこからどう見てもギャルなのだけれども、本当は違う。本当のわたしは引っ込み思案で大人しい、度胸もない人間なのだ。彼氏がどうとか、何人とヤっただとか、二股かけてるとか、そんなことを話すんじゃなくって。わたしは、自分の好きな小説だとか、日常の些細なことを話すだけでいいんだ。それだけで十分なんだ。
大きな口を開けて笑い、足を開いて教室の椅子や地べたにどかっと座り、下着が見えそうなくらいに短いスカートを履くんじゃなくて。教室の隅にちょこんと座って、静かに読書を楽しみ、膝上くらいの適度な長さのスカートを履きたいって思っている。でも、それを実行しないのはそれだけで「異端者」であると、今属しているグループに思われてしまうから。
女の子の世界って今更ながら不思議だと思う。少しでも自分と違う人間がいれば、それだけで「キモい」「ありえない」で片付けてしまってペンッとはじかれてしまう。グループから追い出されてしまうのだから。
もっと色んな子たちと仲良くした方がいい、と「もう一人」のわたしは言っている。わたし「自身」もそう思うのだけれども、それを実行できないでいる。なぜならわたしは、「わたし」という物を持っていないから。
「わたし」を持っているのであれば、今頃好きに学生生活を謳歌していたと思う。けれども、グループに同化して、なりたくもない格好をして、話したくもない話をするのは今のグループから離れたくないから。いや、離れられないからだ。
わたしが所属するギャル系のグループは、いわゆるクラスの中心と言われるもので、そこに所属しているだけで大きな発言力と権力を得ることができるのだ。そのため大人しくて人見知りのわたしにも、男の子や女の子は積極的に話しかけてくれる。自分で人間関係を一から築かずとも、グループのギャルの紹介で友達がたくさんできるのだ。また、運動部の人気のあるちょっと格好いい男の子や、他クラスのリーダー格の女の子とも仲良くなれるので、わざわざグループを抜けることなんてできるはずがない。大人しいくせに、野心だけは一人前のわたしは何としてでもこのグループから抜けたくないのだ。
そんな小心者のくせに打算的なわたしと木手くんが出会ったのは、テニス部のレギュラーの子たちと知り合ったことがきっかけだ。当初の印象は近寄りがたい人だな、とあまりいいものではなかった。けれど、木手くんはちょっとだけ柄の悪い比嘉中テニス部(むしろ比嘉中自体、柄がそんなによろしくない)を束ねるキャプテンで、ちょっとだけ人相が悪くて、ちょっとだけ怖い人だけれども、話してみると見た目通り理知的で、意外に親切で。さりげない優しさを持ち合わせており、またさりげなく人に対して気配りがきちんとできる人だった。周りのやんちゃな同級生と比較してみても、彼の礼儀正しさと品行の方正さは非常に目立つ。非常に大人びた人で、頼りがいのある、顔だけじゃなく全てが「格好いい人」だ、と思っていた。
そんなわたしは木手くんにどんどん惹かれて行った。普段、引っ込み思案のわたしだけれども恋愛事に妙に積極的な周囲の「根回し」という名の「協力」もあって、木手くんにアプローチをかけていった。何をどのようにすれば全くわからなかったから、とにかくテニスのことを勉強するようにした。読みたくもない月刊プロテニスを購入して熟読し、図書館でテニスのルールブックを何冊も借りてそのすべてを読破した。差し入れなんかも持って行って家庭的な女であることをこれでもか、というくらいアピールした。当時のわたしは確実に木手くんに恋する夢見る乙女で、またそんな自分に酔い知れてもいた。周囲が「男のためにここまでするなんて」とわたしを絶賛してくれたからだ。「木手なんかにお前はもったいないよ」と男友達からちやほやされるのも、満更ではなかった。
そしてなんだかんだで、わたしと木手くんの仲は縮まってきた。そしてその頃を見計らって告白、という運びになった。
正直に言って、男のためにこれほどのことをしたんだ、付き合うことが出来て当然だという自信があった。自信よりも慢心と言ったほうがいい。周囲が「大丈夫!絶対、OKもらえるって!!」「本当、いい彼女になるよ」などと、わたしを焚きつけていたせいもあるかもしれない。恋は盲目、という言葉があるけれども、わたしは盲目になっている状態に輪をかけて過度な自信を持っていた。絶対に断られない、告白というものは今までやってきたことに対する総仕上げにしかすぎない、と。軽く考えていた。
そして告白当日。木手くんを呼び出し
「好きです」
この四文字を伝えた。付き合ってくださいも特にない、飾り気のない言葉だけれども、自分の気持ちを伝える確実な言葉だ。2つ返事で付き合うことを了承する返事をもらう予定だった。だって、お付き合いというのは今までの行動をさらに発展させるだけの行為なのだから。何度も言うけれども、自信があった。毎日練習を身に行ったし、差し入れも持って行った。テニスだって詳しくなった。木手くんが望むなら、わたしは何だってできるのよ。これほど出来た女、他にいないんだから。
頭をぺこり、と下げて「よろしければ付き合ってください」と頼んだ。頭を下げた時には木手くんからの返事で期待を膨らませていた。笑いがこみ上げてたまらない。ああ、やっと木手くんとお付き合いできるんだ、と思うと唇が自然と吊り上ってしまう。これからどんなことをしようか。デートはどんな所がいいかな。手をつないだり、キスをしたり、セックスをしたり。今まで、恋バナとかされた時は友達に合わせていたけれども、これからはわたしも堂々と木手くんとのことを話せるのか。というより、周りが放っておかないだろうな。根掘り葉掘り聞かれたらどうしよう、そういうの、ちょっと鬱陶しいな。でも、なぜか不快ではなかった。まだ見ぬ未来に胸を弾ませながら、きっと肯定の言葉が出るであろう木手くんの返事にわたしは依然、頭を下げたままの状態を待った。
木手くんは端的に、そして。
心なしか明るく、声のトーンを上げて言った。
「お断り申し上げます」
その言葉はわたしが想像したものではなく、いや。想像なんてついただろうか。
てっきり、お付き合いができると思っていたわたしの脳は木手くんの言葉の意味がよくわからない。
いや、たった数秒前の出来事なのに、何を言ったのかさえ理解できない。
「え、今なんて…」と顔を上げて再度、木手くんに答えを促すと「断る、と言ったんです。低能さん」と言われた。
何が起こったのか全くわからない。わたしが?わたしが低能?わたしのどこが一体低能なのよ。
急展開すぎて話が飲み込めない。結局、わたしと木手くんはお付き合いできるんだよね?そうだよね?
だって、木手くんがそんなこと言うわけないじゃない。だってだって木手くんは、厳しい人だけど優しいし。いい人だもの。わたしに面と向かってこんなひどい事、言うはずないじゃない!
何かの間違いだ。そうだ!わたしはきっと、夢を見ているんだ。とびきり悪い夢だ。
だってあれだけ木手くんに振り向いてもらおうと頑張ったのに、断られるだけじゃなく、こんなにひどいことを言われるなんて意味がわからない。
どうかしている。どうかしているんだ、きっと彼は。熱でもあるのかもしれない。そう言えば沖縄といえど、ここ最近冷えて来たからな。
風邪をひいてしまったんだ、木手くんは。
「そ、そんな」
そんなことないよね、わたしと付き合ってくれるよね、と言おうと口を開いた瞬間。身体に衝撃が走った。それは何かが身体の中を貫くような衝撃ではなく文字の通り、身体全体に衝撃が走ったのだ。それと同時に頭に鈍い痛みが走った。ごつっと後頭部に何かがぶつかる音がしたことから、わたしは頭をぶつけたのだろう。
背中に感じるの何か硬くひんやりとしたものに、接していることによる寒さ。
両肩に感じるのは何か温かいものに、がっしりと掴まれたことによる痛み。
それは人の手である、という事実を理解するのに時間は然程かからなかった。
眼の前にはわたしを見つめる木手くんの顔。木手くんの顔はいつも見る以上に冷たく歪んだもので、まるでわたしを蔑むように笑っていた。
木手くんに思いっきり、壁に叩きつけられたのだ、ということを理解するのにも然程時間はかからなかった。
そして、「知っていますか?」と木手くんは無表情でわたしに問いかけ、汚物を見るかのように、わたしにこう言ったのだ。
「女という生物は男に依存しないと生きて行けない。よって、女は男を満たすことでしか、存在が認められないそうですよ」
と。
その時になって初めて、わたしは彼に失恋したことを悟ったのだった。
彼の眼には最初から、わたしが「人間」ではなく、ただの「雌」にしか見えていなかったことも悟った。
その直後、急に木手くんに対し恐怖心が溢れて来た。今までは彼とのキスやセックスや、そういうことばかり考えていたけれども、そのような行為が急に恐ろしく吐き気のするものに変貌していった。木手くんの手は、いまだわたしの身体を捉えて離さない。木手くんの眼は、いまだわたしの眼を射抜いて逸らせない。ただただ、恐怖という感情だけが募り、ここから逃げ出したくなる気持ちも比例して増加して行った。わたしはなんと愚かだったのだろう。男という生き物をなんと浅く見ていたのだろう。同じ年と言えど、こんなに力が強くて、こんなに逞しいものだと知らなかった。女のわたしが何か策を巡らせたところで、この力に対抗できるなんて思えない。泣きたくなった。否、泣いてしまった。彼に何をされるのだろうか、という未知なる不安に恐怖心はさらに煽られ、あまりの怖さに泣いてしまったのだ。
涙でゆがんで何も見えないけれども、きっと木手くんはわたしを面倒くさい女にしか見ていないんだろう。女は男を満たすことでしか、存在が認められない、って言うくらいなんだから。わたしのような女はわずらわしいだけなんだ。
瞬きもせずに、木手くんの顔をじっと見つめながら、心の中では何度も何度も「ごめんなさい」という言葉を繰り返す。何に対してごめんなさい、なのかはわからない。ただ、その時わたしは木手くんを知らずと軽く見ていたことに初めて気づいた。ここまでやってあげたんだから付き合うよね、という非常に勝手な理屈をつけて彼に交際を迫っていたことにも。ああ、なんて傲慢なんだろう。そしてなんて愚かなんだろう。この時初めて、わたしは本来の自分というものを思い出した。
「本当の」わたしは、大人しくて、本が好きで、髪を巻くことにも肌を露出することにも全く興味がなくて。誰と誰がつき合っている、というような話にも無頓着で。好きな人が出来たとしても、影でこっそり見るだけで満足できるような控え目、というよりは地味で目立たない女だということに。
身の丈を今、初めて知ったのだ。最初からわたしと木手くんはつり合ってなんかいない。
いくら着飾っても、クラスの中心に居たとしても、上辺だけで意味がない。本当のわたしと木手くんとはまるで月とすっぽん。上っ面の人間に木手くんが惹かれるわけがないのに。そこまで彼に人を見る目がないはずがない。ずっと見てきたから、はっきりと断言できる。
いろいろと考えていたからか、木手くんへの恐怖しか感じていなかったわたしの脳は急速に冷やされて行く。冷静になったわたしは、今はっきりと、自分が失恋したことに気づいた。
もう「ごめんなさい」という感情は消えていた。ただ、思いが届かなかったことに対して涙を流していた。
ただ純粋に悲しくて、胸がはち切れそうになる。
皮肉だけれども、わたしが木手くんを好きだったことだけは、紛れもない事実で本心だった。
本当のわたしを象る部分が「恋心」だけだということに気づいたとき、さらに自分というものがこんなにもスカスカなものだなんて、と空しく感じた。
「最初から誤解を招くようなことは避けるべきです」
木手くんは、壁に押し付けていたわたしの肩からゆっくりと手を放し、話しかけた。
その声はさっきのような厳しいものではなく、優しく、まるで子供に話して言い聞かせるかのように響きのよいものだった。
そして彼は、自然と。彼の右手をわたしの後頭部にやって、軽く撫でた。「少し、瘤になってしまったようですね」と、どうやらわたしが頭を打ったことを気にかけてくれているようだ。先ほどまでとは打って変わって、彼の態度はひどく軟化している。冷たい言葉と視線を投げつけた人とは思えないくらい、丁寧でかつ心地の良い口調だった。
いきなり態度が変わったことによって、わたしはきょとん、と。ひどく驚いてしまって、涙が引っ込んでしまった。
一体何が起こっているのだろう。どうして急に、木手くんはわたしに優しくなったのだろう。わからない。
彼は気まぐれに性格が変わるような人ではない。だから、余計にわからない。
木手くんはわたしの後頭部から手を話して、今度はわたしの頭にぽんっと手のひらを乗せてくしゃっと撫でた。
スプレーで固まった髪の毛をほぐすかのように、くしゃくしゃと。本当のわたしの髪型にもどすかのように、くしゃくしゃと。
そして彼は、作りもののわたしに呼びかけるようにこう言った。
「本当の君はそんな子じゃないでしょう」
と。
どうやら、わたしは木手くんに見透かされていたらしい。木手くんは本当のわたしの心をきっと読み取っているに違いない。
だって、そうでなければ。木手くんよりも長く側にいる友達でさえも気付かないことを、図星なことを言うはずがない。
今までわたし一人だけでしまいこんできた、本当の気持ちを。
「どうして」
どうして本当の気持ちがわかったのか、どうしてそんなことを言うのか、どうして急に優しくなったのか。
いろんなことに対する「どうして」が積もりに積もって、わたしは木手くんに問いかける。
わたしが「低能」だから、木手くんの行動や言動に疑問を持つのかもしれない。
でも、本当にわからないのだ。低能でも何でもいい。木手くんの発言の真意を知りたい。
木手くんはわたしに対して薄く、微笑みかけた。
そして、彼はわたしの頬に手のひらを近づけ、そっと優しく包み込んだ。
彼の手はひんやりしているのかな、と思いきや、思いのほか暖かく、そしてゴツゴツと骨ばっていた。
利き手である左手でわたしの頬に触れているため、テニスのラケットを握っていることによって出来たであろう固い肉刺の感触も同時に感じることができる。
わたしは木手くんと木手くんに触れられているわたしの様子を客観的に見て、そして感じていた。
冷静に脳が対処していた、というより今起こっている出来事から一歩下がって、いろいろ考えているのだ。
でなければ、木手くんを好いているわたしが木手くんに触れられている事実を目の前にして、パニックを起こさないわけがない。
あくまでもわたしは第三者視点で、木手くんの行為を受け止めているのだ。
「見ていればわかります」
わたしの頬に触れている5本の指のうち、彼は親指をふにっとわたしの口元に沈ませた。
「友達の中で無理してぎこちなく笑ってることも」
それから彼は頬から手のひらを放し、次にわたしの胸の中心に人差し指を軽く当てて。
「恋愛に晩熟なことも」
胸の中心に当てていた指を外し、今度は短いスカートから覗くわたしの太ももを軽く撫でて。
「誰にでも足を開くような子じゃないということも」
太ももから外された手は再び、わたしの頬へと戻って来て。
「君が本当に俺を好いてくれていることも。」
親指ですっと、わたしの眼の下を涙の跡を拭うように撫でた。
一連の行為は非常に柔らかく、きわどいこともされたというのに、なぜだろう。ひどく優しいものに感じた。
身体に少しずつ触れて指摘されることで、本当のわたしを見ていてくれているかのような気がした。
それはただのわたしの妄想に過ぎないのかもしれない。でも、どう感じるかは個人の自由でしょう?
木手くんはわたしの頬を撫でながら、優しいけれども諭すように。それでいて力強い語調でわたしにこう言った。
「俺に好いて欲しかったら、スカート丈を元に戻しなさい。髪も頑張って巻かなくていい。化粧もしなくていい」
そして本当の君の姿でもう一度、告白しに来て下さい。
言い終わると、木手くんはわたしの頬から手を外し、その代わりにゆっくりと。顔を寄せた。
柔らかく濡れた感触と、ちゅっと耳元で音がしたかと思うと、木手くんはそのままわたしの耳元でこう囁いた。
「そうすれば。君はきっと、いい返事を得られるかもしれません」
まるで媚薬のように低くそして甘く囁く木手くんの声を、今まで第三者視点で話を見聞きしていたわたしが素直に聞き流すはずもなく。
今度は完全に、ぷすん、と思考回路が停止してしまった。
今、木手くんに言われたこと。そして今、木手くんにされたこと。
それはわたしがきちんと受け止めるにはあまりにも大きな出来事で、そして急な展開に頭がついて行かない。
そう。まるで、本の中の物語に独り取り残されたように時間だけが過ぎて行っているのだ。
は、と気づいた時には木手くんの姿はもうなくて、いつ帰って行ってしまったのかもわからない。
そして、今しがた起こったことも現実にあったことなのか、判別がつきにくい。
夢だったのだろうか。いや、それは夢ではないはず。だって、後頭部にズキンとした痛みが残っているから。
それとなく患部に触れてみると、ぽこん、と熱を帯びた不自然な膨らみが存在を主張している。
さっき言われたことが真実なのだとすれば、木手くんはわたしの心を読んでいる。
それから、木手くんはわたしが「わたし」をさらけ出すことを望んでいる。
さらに。もう一度、木手くんはわたしにチャンスをくれた。告白するチャンスを。
木手くんに振り向いてほしい。でも、今ここでわたしが「本当の」わたしをさらけ出すと、今まで培って来たものが消えてなくなってしまいそうな気がした。
形だけの友達だけど、もし今ここで元に戻ってしまえば、きっと魔法が解けたかのようにわたしは誰からも相手にされなくなっちゃう。
でも、今のままの生活をしていたら木手くんに相手にされない。それに、このままやりたくないことをやって、話したくないことを話すことを続けなくてはならない。
人に気を使ってばっかりで、人に頼ってばっかりの生活で本当にいいの?
ひょっとしたら、木手くんはわたしが「わたし」を取り戻すチャンスをくれているのかもしれない。
周りに流されやすくて、輪の中に居ようとするわたしを、試しているのかもしれない。
この機を逃したらわたしはずっとギャルの友達と付き合い続けることになり、周りの人間に合わせてバカ騒ぎをするような不本意な人生を送るだろう。
本当はやりたくないことなのに。もっと静かに、本や雑誌を読んで静かにしていたいのに。
人生1回切り、本当にそれでいいのかなんてわたしにはわからない。
わからない。わからないけれど、このままでは何も進歩しないし何も始まらない。
木手くんに告白したのに、何も始まらないのもイヤだ。
長い人生、人に合わせて生きていく人生もあまりいいことではない。
このまま人に合わせるか、それとも「わたし」に戻るのか。
きっとこれはいずれ来るべき選択だったんだ。
予想よりもちょっとだけ早かっただけで、人生を生きる上でどちらかに決めなきゃいけなかったんだ。
「本当の」わたしに戻るのはちょっと怖い。今まで培ってきたものを壊して、また一から作っていくのはなおさら怖い。
みんなわたしのことをどう思うだろうか。こんな卑怯なわたしを嫌ったりはしないだろうか。
でも。もう、嘘をつき通すのは疲れたし、嘘をいつまでも吐き通せるとも思わない。
だから。
木手くん。わたしにちょっとだけ。ほんのちょっとだけでいいから、
少しだけ、勇気をください。
徐に。わたしは両手で思い切り、今朝早起きをして作ったゆるく巻かれセットされた髪を乱暴に崩した。
一時間もかけて作った「絶対☆モテカワヘア」と雑誌で紹介されていたカールは見るも無残にほどけて行く。
スプレーで固められ、まるで束縛されていたかのような髪の束はは自由を謳歌するようにゆらゆらと揺らめく。
するとなぜか、今まで抑圧されていたような気分だったのだろう、すっと心のもやが晴れて解放された気分がした。
|