毎月の生理痛がつらくて、しかたない。
生理になる前の眠気もすごいし、腰とお腹には常に激痛が走る。
身体もだるくて起きあがることすらできない。
期間中は学校も休みがちだし、行ったとしても保健室から出られない。
そんなわたしを見かねたお母さんが一言。





「あんた、婦人科に行っといで」





そういうことで、わたしは今、産婦人科の受付にいる。
いるのだけれども。
一人だけ異色な人物がいる。
オレンジ色の髪に白の制服。は、わたしと同じ山吹中の制服。
整った顔立ちに整ったプロポーション。
ソファで足を組んで座っている姿も様になっている。





ただ、1つ。付け加えるなら






さんじゃん!」






それが男で。
しかも、中1の時の同級生という微妙な知り合いであること。
彼の名前は千石清純。
キヨスミなんて名前ではあるけれど、泣かせた女は数知れずの根っからの女好きというのは学校中に知れ渡っていること。
誰だ、名は体を示すって言ったのは。
名前が可哀想だ。そんな名前をつけてしまった親も可哀想だ。





「久しぶり、さん!」





ヘラヘラ笑ってわたしに近寄ってくる千石くん。けれども、わたしたちはほとんど話したことはない。
それなのにいきなり久しぶり、なんてよく近寄って来れるな。女だったら何でもいいって本当だったんだ。
千石くんがよく話すタイプの子は若さ溢れるキャピキャピした女の子たち。
人工的に甘くした香水をふって、甘ったるい匂いをさせて、甘い声で千石くんを呼ぶ女の子たち。
そんな彼女たちを囲うかのようにして、千石くんはいつも行動している。
移動教室の時も白い巨塔の総回診、大奥の上様登場かっていうほど、女の子を引き連れて廊下を歩いている。


かく言うわたしは、特にキャピキャピしているわけでもなく、どちらかというと地味めに入ると思う。
男の子と会話なんてあまりしない。
何よりもわたしは外部受験を考えているので、誰彼と喋っている暇なんてない。
生理がひどくない時は勉強、勉強、また勉強。おかげさまで成績はトップキープしています。

だから、千石くんと話したことなんて、はっきり言ってない。





「久しぶり…」





挨拶をされたので返事を返さないのはわたしの礼儀に反するので、半ば儀礼的に返事を返す。
千石くんはわたしの隣に腰を下ろし、ニコッとわたしに笑いかけた。
お尻から足の先までピタリとくっつかれてしまったので、少し離れるとまたくっついてきた。
近すぎる。
でも彼にとってはこれが普通なのかもしれない。

なんと言っても千石清純だから。一般人の常識に併せて欲しい。






「何なに?今日はどうしたの?」





それはこっちのセリフだっつーの。
あんたこそこんなとこで何してんのよ。
言っとくけどここは産婦人科よ?男のあんたなんか来る場所じゃないってわかってんのか。





「や、ちょっと…」





千石くんに話す義理も特にないので言葉を濁すと、千石くんはいきなりわたしの両手を彼の両手で握って来た。
眉毛を寄せて心配そうにわたしの顔を見て





「…妊娠……しちゃったの?」




と、身に覚えもないバカなことを言うもんだから「んなわけねーだろ」と乱暴な言葉ですぐ切り返してしまった。
ちなみに、わたしは学校では優等生で通っているので、そんな口の聞き方をしたことがない。

一瞬、やばいかも、と思ったけど、千石くんはわたしの言葉遣いには気にも止めず、わたしが妊娠していない事実がそんなに落胆することなのか「なーんだ」とがっかりしたようにわたしの手を放した。
「じゃーなんでこんなとこにいるの?」となぜか拗ねるように千石くんが言う。(なんであんたが怒るのよ)
言葉を濁して、また妊娠とか言われたらたまったもんじゃない。素直に理由を話すことにした。





「生理痛が酷すぎるから一度検査を受けるの」





いざこざになるくらいだったら、正直に理由を話した方がマシだ。
万が一、千石くんに「やっぱり妊娠してるんでしょ?」て言われたら、あとで診断書でもなんでも突きつけてやればいい。






「千石くんこそ。産婦人科で何してるの?」







産婦人科という言葉をわざわざ口に出して、目の前の男に聞いてみる。
理由なんてわたしが思いつく限り、ほとんど1つしかない。
姉妹がいるにしても、その付き添いに男兄弟が来るなんて、まずない。
だから最初は野暮なことは聞かないでおこう、と思っていたのだけれど、あまりにも千石くんが根掘り葉掘り聞いてくるもんだから。プライバシーの欠片もない千石くんにわたしからのささやかな復讐だ。
けれども、わたしからの復讐は千石くんには全く堪えなかったようで、彼はあっけらかんとわたしにこう言ったのだ。





「今ね、中絶してもらってるんだ」





予想外だった。
いや、まさか。
妊娠させたから婦人科病院に来た、それがたった一つの理由だって思ってたから。
でも、そんな順序すっとばしていきなり堕胎なんて思ってもみなかったから。
思わずわたしは思いっきり顔をしかめて、至極軽蔑するように千石くんを見てしまった。






「うわぁ……その顔、傷つく〜」






言葉の割にはニコニコしているから、わたしの表情なんて全く気にはならないんだろう。
なんて図太いヤツ。
妊娠させたというだけでも普通ならパニックになるのに、なおかつ堕胎させてそれに付き添うなんて。どういう神経してるんだろう。





「……よくそんなに落ち着いてられるね」





嫌みたっぷりで千石くんに言ったけれども、やっぱり千石くんは笑顔のままで。
声に出して笑っている。






「ははっ。それ、南にも言われたー」

「…誰よ、南って」

「俺の数少ない男の友だちー!いいヤツだよっ」






地味だけどね。






むしろ千石くんがパンチ効きすぎてるから地味に見えるんだと思うけど。
南…くんか。その南くんはいたって通常の感性を持ってる普通の人だよ。





「中絶するのって自分の子どもでしょ?それを殺すんだよ?何とも思わないの?」

「それも南に言われたー」

「……中絶の費用だって、千石くん出してないでしょ」

「これも南に言われたー。てか、さんよくわかったね。ゆっこ…あ、俺の女友達ね。そのコが全額払うって」

「妊娠したのって彼女じゃないの!?友達なのにそういうことすんの?」

「あはっ!それも南に言われたっ!!」






さんも地味〜'sだっ!言われてみたら目立つような子じゃないね。






と、失礼なことをぶちまける千石くん。
別に地味か地味じゃないかなんてそんなこと、わたしにとってはどうでもいい。
ただ、千石くんがさっきから目に余る発言を繰り返すことが腹立たしい。
わたしが聞いたことに関して、いつもはぐらかして。何か言ったと思えば南南南って。
人の命をなんだと思ってるんだ。






「どうして避妊しなかったの?」

「どうしてって…そりゃ」







面倒くさいから。






そう平然と言う千石くんに腸が煮えくり返りそうになる。
女を、人間を、どこまで侮辱すれば気が済むんだ。
あんたがへらへら笑っている間にそのゆっことか言う子は、分娩台で泣きそうになりながら、つらく思いながら、おなかの赤ちゃんとさよならしてると言うのにこの男は…。






「ほんと最低…」






わたしがじとっと嫌みたらしく言った侮蔑の言葉は、千石くんには届かなかったらしい。

彼は相変わらずヘラヘラ笑って







「これも南に言われた」






悪びれずにそんなことを言う千石くんにさらに腹が立ち、わたしは感情のままに彼に怒りの気持ちをぶつけた。







「自分さえよければそれでいいの?本当、自己中だよね」

「生みたくもないのに赤ちゃん出来ちゃった女の子の気持ち、千石くんはわかろうと思わないの?」

「生まれて来れない赤ちゃんのこと、考えようとも思わないの?」

「千石くんの態度は、千石くんのせいで中絶した友達や死んでしまう赤ちゃんだけじゃなくって、女の人全員に対してすごく失礼だよ!」






その声は病院中に響き渡ったみたいで、一斉にみんながわたしを見る。
構うもんか。こいつにガツンと言ってやらないと気が済まなかったんだから。
一体自分のことを何様だと思ってるんだ。
自分が生まれて来れたのは誰のおかげだと思ってるんだ。
自分が生きていたら、他の人間がどうなろうと知ったこっちゃないって?
子どもが出来たらすぐ堕ろせばいいって?






冗談じゃない。





命はたった一つしかない。
わたしと千石くんが違う人間であるように、同じ命は二つとない。
もう二度と、消えてしまった命は現れない。
それを簡単に消してしまえる人間が理解できないし、命を軽んじる千石くんが許せない。






しかし、千石くんは一瞬びっくりしたように目を大きく見開いただけで、すぐにいつものヘラヘラした笑顔に変わった。
その後、なぜか彼はわたしの肩に手を回し、一気に顔を近づけて来た。
正しくはわたしの耳に彼の唇を近づけてきたのだ。




そして妙に色のある声で、わたしにこう囁いた。








「嫉妬してんの?」







普通の女の子なら至近距離からの一言にときめくのかもしれない。
でも、生真面目でかつ怒り浸透のわたしには火に油を注ぐ行為。
ついに、わたしの堪忍袋の緒はプチンっと切れてしました。

そこからわたしが取った行動は迅速だった。
千石くんを思いっきり突き飛ばし、突き飛ばすだけでは怒りが収まりそうになかったので、千石くんの頬を思いっきり殴った。
引っ叩いたのではなく、グーで殴ってやった。ゴッと骨と骨が当たる鈍くも、かなりいい音がした。


千石くんは何が起こったのかわからない、とでも言うように、左頬を押さえて、今度こそ黙りこくった。
ただ、呆然とわたしを見ていた。
女にグーで。しかも、恋愛絡みでない理由で殴られるなんて初めてだったんだろうと思う。

わたしの身体はワナワナと震えて、なぜか知らないけれど泣きたい気分だった。
別に千石くんに改心してもらいたいなんて思ってはいない。
ただ、わたしの言葉を聞きいれず茶化して、人の命をこんなにも軽んじる人間がいる事実に涙したく思ったのだ。






「あんたは人の命を何だと思ってるのよ!」






泣きたくない。
こんな男の前で泣きたくない。
泣くもんか。

千石くんを睨みつけて、わたしはここが病院だということを忘れて、半ば狂ったかのように彼に向かって怒鳴る。






「あんたの勝手で赤ちゃんが出来て、あんたの勝手で赤ちゃんを下ろして。あんたの勝手で人が傷ついていくって…そんなのもわかんないの!?」




はあっと一呼吸置くと、涙はだんだん目から引き上げて行った。
きっと一気に感情が爆発してしまったから涙もこみ上げて来たんだ。
気分が落ち着くと冷静さも取り戻してきた。


言いたいことを言ったわたしだけど、今度は千石くんが黙っていなかった。
千石くんは頬をさすりながら、わたしを睨みつける。
彼は女性に手を上げないし、女性に対して怒ったことはないと噂で聞いている。
そんなこと言った奴の話なんか信用できないほど、彼の目は冷たくわたしを射抜いていた。





「向こうも『キヨだったら何されてもいい』って言ったのに…どうして俺ばっか責められないといけないワケ?しかも蚊帳の外のキミに」





千石くんの言い分。
部外者はすっこんでろってコト?
千石くんは声のトーンを落として、わたしに詰めよる。




今のセリフをきっかけに、わたしと千石くんの論争が始まった。




わたしは人の揚げ足をすぐ取るタイプだ。
これは短所であるけれど、裏を返せば結構口が上手いということ。
千石くんに勝つ自信はある。むしろ負けてたまるか。






「何されてもいいんだったら妊娠しても文句言えないよね。」

「だからって急に妊娠するなんて、誰だって思わないでしょ?もちろん千石くんだって思わなかったんでしょうよ!」







ケンカごしで、わたしがぎろっと彼を睨むと、千石くんもさっきから鬱憤が溜まって腹が立ってきたのか、声を荒げてわたしに反論してきた。








「そうだよ!今までエッチして中に出しても誰も妊娠なんかしなかった!!」

「あんたバカじゃない!?中学生といえど生理来てるんだから、妊娠するのなんてあたり前でしょ!?小学生でも妊娠出来んのよ!?」

「だからっていきなり妊娠するなんて思わなかったんだから仕方ないだろ!!?」

「するっつーの!何度も言わせんな!しかも、仕方ないで片付けてんじゃない!この馬鹿!!!」







周りの目も気にせず、口げんかを始めたわたしたちだけど、千石くんは何も言い返せなくなった。
どうやらこのケンカ、わたしの勝ちのようだ。
それでも、わたしは彼に言わなければならないことがある。まだ、たくさんある。






「『何されてもいい』って言われて、どうして『何でもしていい』になるのよ」

「それはゆっこが…」






千石くんが堂々巡りな答えを出そうとするのを遮り、わたしは彼にぴしゃりと言った。






「『何でもしていい』ってことは、自分で好きに出来る代わりに、起こった結果に対しては自分で責任取らないといけないってわかってんの?」





子どもでも知ってるわよ、そんなこと。
やることはいっちょ前のくせして、考えてることは甘えきった子どもだわ。小学生以下。





「ゆっこって子は自分で蒔いた種だもの。あんたのためにも、責任取って下ろしてさ。これから死んでしまった赤ちゃんの分まで生きなきゃいけないよ。でもね」






千石くんの言う通り、妊娠してしまったのはその子の責任もある。
でも、それだけじゃない。
千石くんが植え付けた種、つまりは千石くんの子ども。
それを今、殺してるっていうのにケタケタ笑う千石くん。
わかってる?千石くん。
あんたもその子と同じように、流してしまう赤ちゃんのコトを忘れちゃいけないんだってこと。
一生、謝罪しなきゃいけないこと。勝手な理由で流してごめんねって。






「千石くんさえこんなことやってなきゃ、彼女もあんたも大変なことになんなかったんだよ」







そしてわたしは。
彼にとって最も重くのしかかるであろう一言を放つことにした。







「千石くん。中絶って言うのは一種の人殺しなんだよ。千石くんは友達に人殺しを決断させて何も思わないの?」







千石くんは呆然と、急に無表情になった。
視線は定まっていない。
あちこち視線を泳がせてから、わたしの足元に視線を落とした。
それから視線は上に上がり、彼はわたしの瞳を見た。
わたしに対して逆ギレするわけでもなく、フォローを入れるわけでもなく、反省するだけでもなく。


ただただ無表情だった。






さん。どうぞ」






ちょうどタイミングよく、わたしの名前が呼ばれた。
わたしの検診の番が来たらしい。
相変わらず無表情を崩さない千石くんは、無表情ながらもわたしから目を反らさない。
一体何考えてんだが。
笑ってたかと思えば、逆ギレして。
最後に急に黙りこくって。
わたしは千石くんから目を思いっきり反らし、カバンを持って診察室へと足を向けた。






「だって、子どもに子どもなんか生めやしないじゃんか」







ぽつりと、千石くんが誰に言うでもなく呟いた。
無意識なのか故意なのかはわからない。
わたしの怒号を聞いて、千石くんは千石くんなりに考えたんだと思う。
そして出たわたしへの最後の反論がコレ、なんだと思う。
でも、悪いけど。そんなの自分は悪くないって言い聞かせてるだけ。
身勝手な行動でこんなことになったんだって…思いたくないだけだ。






「普通の子どもは、この年で子どもを生むようなことはしない」






都合の悪いときだけ子どもにならないでよ。





身体は大人、頭脳は子ども






千石くんはそれから何も言わなかった。

わたしも何か、千石くんに言おうとは思わなかった。