課後、下校する時。いつものように昇降口へ足を進めると、隣のクラスの丸井くんがいた。

彼はキョロキョロなんて擬音が似つかわしくないくらいに首を左右上下に振り、さながらヘッドバンキングをしているかのよう。
その形相はどこか必死で、いつもサラサラな髪はなぜかボサボサで、余裕綽々とでもいったその表情は目の下に隈が出来、どこか疲れきって、やつれているようで。
いつも太陽の下でキラキラした表情を浮かべているのに、貧乏神にでも憑かれたような、そんな顔を見たことがなかったから、見てはいけないものでも見てしまった気分になってしまった。

丸井くんは靴箱という靴箱を開けて回り、ゴミ箱の中に顔を突っ込んだり。靴箱のちょうど下、足元にある簀の子を上げてみたり。
挙動不審、かつ常軌を逸脱した行動を、彼は形振り構わず行っている。
何度も同じことを繰り返しているうちに、次第に飽きて来たのか「んだよ、こんにゃろー」と叫んで思いっきり靴箱を蹴った。
でも、靴箱は凹みもせず、むしろ蹴り所が悪かったのか足を痛そうにさすってしゃがみ込んだ。
「なんでこんな捜してんのに一個もねぇんだよ」と涙声で、足をさすりながら呟いていたことから、彼はひょっとしたら何か捜しているのかもしれない。
その何かとはわからないけれど。





しばらく傍観していると、はた、とうずくまっている丸井くんと目がばっちり合ってしまった。
いつものような強気な瞳はどこへやら。弱々しくて、力強さは全くなく、可哀想なくらいにげっそりしていた。
いつもはフーセンガムを膨らませているのに、今日は膨らませるどころか噛んでもいない。一体、どうしたというのだろうか。
すると、丸井くんは何か思い立った、というか、閃いたかのように、すくっと立ち上がった。
そして、ゆっくりと床の感触を確かめるかのように、一歩一歩わたしの方へ足を向ける。
一瞬、どこか違う所へ行こうとしているのかも、と思ったのだけれど。明らかにわたしへと、銃口はロックオンしているようだ。
その証拠に、最初ゆっくりだった歩調は最後には我慢できない、とでも言うように速まったから。






丸井くんは、適当にわたしとの距離がある地点まで歩み寄って来た。
同じような身長なのに、感じる威圧感はわたしのそれとは月とスッポンで。疲れていて威圧感はなくても、存在感はある人だ、と感じた。
すると、丸井くんはいきなり頭を下げた。何か謝るかのように、きっちり角度90°にお辞儀をわたしに向かってしてきたのだ。
何故だ。
わたしは特に謝られるようなことをされるほど、丸井くんとは親しくないし、向こうだって「確か隣のクラスに居たような…あれ?隣だっけ?え?隣の隣?」ぐらいの、
そもそも居たかどうかもわからないくらいにしか認識してないと思う。(言ってて悲しくなるけどね)



一人でわたわた、と慌てていると丸井くんがようやく口を開いた。





「何か食べるものをください」





と。

………思わず呆気に取られてしまった。
丸井くんは、ひょっとしてお腹が空いてたからごみ箱を漁ったり、簀の子の下や靴箱を探してたの?
て、いうより、仮にも口に入れるものなんだから、そんなとこ探して食べようとしないでほしい。
モラル的に変だよ。おかしいよ。
しかも入ってたとしても、ゴミ箱もいいとは言えないけど、他人の靴箱の中に入ってるものなんだから。
黙って取るなんて良くないよ。わたしが来なかったら、
彼は一体どうしていたんだろう。考えただけでもゾッとする。
やってること、まるで犬と一緒じゃん。






「…えっと……のど飴ならある…けど?」






でも、丸井くんにそんな注意が出来るはずもなく、言われるがままに食べ物を差し出そうとする自分に思わず苦笑いをしてしまう。
なんてチキンなんだ、わたし。
カバンの中から袋入りの梅のど飴を出す。
スースーした薄荷が苦手なわたしには、こののど飴が一番好きだ。甘過ぎないし、なめやすい。
途端に彼の目は爛々と輝き、「早くくれ」とでも言わんばかりに口をパクパクさせる様は餌をねだる金魚のようにちょっと面白かった。
あーんと開けている丸井くんのお口の中にポイっと飴玉を放り込もうと近づけると。






ばくっと。
指ごと食べられた。






そして器用に歯を使い、舌を使い、わたしの指から飴玉を剥がし、口を放した。





しばらく何が起こったのかわからず、指と丸井くんを見比べる。
丸井くんの唾液がしっかり付着した指と、飴玉を器用に転がすどこか幸せそうな丸井くん。





だんだん頭の中がクリアになってくるのと反比例して、ドキドキが止まらない。
わたしってば、あの丸井くんに指、舐められちゃった!どどどどどうしよう……すっごくドキドキしてるし!
この指、舐めたら間接キスになるよねっ!ねっ!ねぇっ!!!






なんて、思ってしまう乙女思考な自分になりたかった。





実際のわたしの思考は、頭の中がクリアになるにつれて、「ちょっとーそれはないでしょー」と丸井くんへの嫌悪丸出しで。
ましてや、さっき丸井くんの奇行を目撃してるもんだから、その傾向が顕著に表れている。
もうちょっとムードと色気があれば、ときめき、どころか、好きにもなるんだと思うんだけど。




丸っきり餌付けだからね。コレ。




指をしゃぶられても、こいつは我慢というものを知らないのか!と、呆れてしまう。
いったい世の女の子は彼の何がいいんだろう。「待て」が出来ない駄犬じゃん、丸っきり。
一度、問いただしてやりたい。






舐め終わった丸井くんは「もっと」と言わんばかりに、「あ」と口を開けて飴を催促する。
指をしゃぶられるのも、また飴を催促されるのも困るので「もういいよ。全部あげるよ」と袋ごと差し出した。(わたしって優しい!)
すると、丸井くんは「マジで?」とキョトンとして、聞き返してきた。
わたしだってまだ2、3個しか舐めてないけど、指を舐められるよりマシだ。それに、そんなに高いものでもないし。
「いいよ。食べたいんでしょ?」と聞き返すと、さっきまでの疲れきった顔と違い、丸井くんの顔はぱあっと明るくなり、曇天から晴天に変わったようだ。
それから彼は「お前って超イイ奴!」と、いきなり抱きしめて来た。
いきなりのことだったので、「ぅおっほい!」と奇声を上げてしまい、ひたすらわたわたしてしまった。
初対面の人間に抱きつくなよ!しかも女だよ、あたしは!
飴の袋一つで、ここまで喜ぶなんて一体、どれだけ安い男なんだ。お前は。



丸井くんに「苦しい」と訴えると「悪ぃ」とさして反省してるわけもなく、しれっと謝り、わたしを解放してくれたけど。
それでも、嬉しいのか「だって、いくら探してもねーんだもん、食い物」とか「俺、もうマジ死ぬかと思ったー」とか、
最終的に「やっぱ、お前超最高!」とか「神さまって信じねぇけど、お前が神さまって誰かに言われたら、俺信じるかも!」と言ってまた抱きしめられた。
それから「やっべぇ…嬉しすぎてチューしてやりてぇ」と言われたけれども「丁重にお断りさせて頂きます」と拒否をしておいた。



薄々感じてはいたけれど、拾い食いをしようとしていた丸井くんに、呆れるどころか、なんだか敬意を表してあげたい。
わたしにとっては、丸井くんこそが神に近い存在に見えるよ。冗談抜きで。






この一件以来、わたしは彼の中で「神」として位置付けられているらしく、次の朝、偶然にも昇降口で出くわした時、わたしの名前を知らない彼に




「ぃよっ!神様!今日もなんかくれぃ!」




とのび太くんがドラえもんに道具をねだるかのように言われた時、「穴があったら入りたい」という諺がマッチするほど、わたしは大勢の前で恥をさらすことになってしまった。