うちの隣に住んでるブンちゃんこと、丸井ブン太くんは料理が上手い。 弟が二人いるからだろうか、はたまた自分が食べたいからだろうか、特にお菓子づくりに関しては「天才的ィ」という彼の台詞を認めざるを得ないほど、ブンちゃんはケーキを上手に作る。スポンジを焼けばふっわふわだし、タルトを焼けばさっくさく、ミルフィーユもシュー生地だってお手の物。部活を引退した今は時間を持て余しているらしく、現在「テンパリング」を習得しようとしているそうで。台所のステンレス台を毎日使って、チョコを35度に保つ練習をしているらしい。 もう将来、パティシエになっちゃいなよ、ブンちゃん。そうでないと、ただの女の子泣かせだよ、ブンちゃん。ブンちゃんの前で「お菓子作れます」なんて事情を知ってる子は滅多に言えたもんじゃないよ。そもそも、家でテンパリングって言ったら、普通は湯煎でチョコを溶かすだけの作業なのに、なんでショコラティエみたいに温度調整までする必要があるの? そりゃ、美味しいものを作りたいって気持ちはわかるけど。そこまで徹底しなくてもよくないですか?と思うの。所詮、おうちで作るんだから味の限界だってあるんだし。チョコだってそこいらで売ってるようなのじゃなくて、パティシエ専用みたいのじゃないとそこまで変わらないと思うし。 それよりなにより、ブンちゃんがそこまで本気出されたらわたしがすっごく困る。なんでかって言うと、実はわたし、毎年ブンちゃんにチョコをあげてるワケなんだけど…まぁ、一応手作り的なものなんだけど、さ。 ブンちゃんとその弟たちがクレクレうるさいからあげてる…… すいません、嘘つきました。 わたし、ブンちゃんのこと好きです。男の子として見てます。たしかに、最初はブンちゃんの弟たちがクレクレ言うからついでにあげてたんですが、今やそんなものは口実。ブンちゃんにあげるから、弟たちにもあげるって感じで逆転しています。 でさ、そのお返しに毎年ブンちゃんとその弟たちはすっっっごいものくれるわけよ。すっごいもの、とはブンちゃんと弟たちお手製のお菓子。(と、言っても大方、ブンちゃんが弟たちの分も用意してるんだなっていうのがわかるんだけどさ。ブンちゃん、ジャイアンだけど何やかんやで面倒見いいし。)ブンちゃんは毎年、キャンディとかマシュマロとか、クッキーとかそんなんじゃなくって。「人に物をあげるとき、歳暮以外、既製品は邪道」とか言ってるから、絶対手作りだし、しかも手作り度合いがそんじょそこらの乙女たちと違う。本気も本気。ケーキとかパイとか、「悪ぃ。ちょっと手ぇ抜いちまった」と言ってもパウンドケーキだからね。一度、フランボワーズケーキを持って来られた時には、うれしいはずなのにすっごく申し訳ない気分になったのはなんでだろうね。 だって、ブンちゃんが持って来たのはチョコレートのスポンジとフランボワーズのムースが横ストライプ状に重ねられ、チョコレートでコーティングし、フランボワーズが可愛らしく控えめに乗せられたホールケーキ、かたやわたしは無印で買ってきたキットで作ったチョコレートケーキ。 かけてる金額も、時間もわたしとブンちゃんでは全く違う。 それが毎年毎年続くとなれば、いくら心臓に毛が生えてる言われているわたしといえども、自信喪失しちゃうよ。ははは。 だから、バレンタインが近づくと結構憂鬱になる。ブンちゃんにチョコあげたいっていう気持ちがあるけど、ブンちゃんからのお返しが怖い。わたしもプライドが全くないわけじゃないからさ、これ以上、自信無くしたくないんだよね。まるで、わたしが料理出来ない子みたいで悲しくなるんだよね。 そうこうしている間に隣のチビちゃんたちが家にやってきた。チビちゃんたちは二人とも、顔だけ見ればブンちゃんのちっちゃいころにそっくりだ。けれど、性格はブンちゃんみたいな「お前の物は俺の物」みたいなジャイアンじゃなくて、きゃっきゃきゃっきゃ、とはしゃぎまわるわんぱく小僧。今日も玄関先でニコニコしながら「チョコちょーだい」と手を出して可愛くおねだりするその姿はまさに天使!ちっちゃい頃のブンちゃんももちろん可愛かったけど、この子らの可愛さは異常。「はいどーぞ」と、たとえどんなに小さな物でも、チビちゃんたちは「わーい」とわたしの周りを駆け回ってから、彼らの家へ戻って行く。デパートにあるでっかい機械時計みたいだ。ほほえましい。 で、その後にブンちゃんが呆れながらやって来て、ガムを膨らませながら「ん」と言って手を出す。 はずなんだけど。 ブンちゃんは手になんか持ってやって来た。普段はポケットに手を突っ込んで、ちょっと無愛想に「よぉ」と挨拶するのに、今日のブンちゃんの表情は怖い。て、いうか硬い。仏頂面、というわけではないけど、怒っているような、そんな顔。 「いらっしゃい、ブンちゃん」と挨拶をしても「…おぅ」と小声で返すだけ。しかも、わたしが声をかけた瞬間、手に持っていた何かをすぐさまパーカーのポケットにしまった。(それが何かはあえて聞かないでおこう。ひょっとしたらわたしにとっていいものじゃないかもしれない) なんかあったんだろうか。元気がない。普段「よぉ、宿題見せてくれぃ!」とか言って無理矢理ノートを奪ったり、ジャイアン炸裂な分、大人しい今日のブンちゃんは気味が悪い。 そんなブンちゃんを訝しげに見ながら、チビちゃんたちにあげたチョコより、ちょっとだけ上手く出来たチョコを「はい」とブンちゃんに手渡す。依然と硬い顔のブンちゃんは、わたしのチョコを「さ、さんきゅ」とぎこちなく受け取る。その際に触れたブンちゃんの手はやたらと湿っていて、汗をびっしょりかいているように感じた。風邪でもひいているのか、熱くも感じた。わたしのチョコを受け取ったブンちゃんは、それの包みをガサガサと開けた。多分、今ここで食べるつもりなんだろう。 ちなみに、わたしが作ったチョコ…というより、チョコレート菓子は、アルフォートみたいな感じにしようと、小さなアルファベットビスケットにチョコレートを半面だけコーティングした時間だけはやたらとかけた手抜き菓子。 を、100均で買った瓶に詰めて、100均で買った包装紙に適当にくるんだだけのさらに手が抜かれたもの。 やたら凝ったものを作るとブンちゃんにお返しを貰った時、ついつい自分のと比較して、しまってあまりのすごさに打ちひしがれている自分が容易に想像出来るから、ここ最近は簡単なものしかあげていない。 ブンちゃんはラッピングを破るように開けた後、さっきまでの硬い表情が一変。眉を顰めた。お菓子をよく作るブンちゃんのこと、多分、わたしが手を抜いてるなんてずっと前から承知なんだろう。ブンちゃんは瓶の蓋をかぽっと開けると、唇を瓶の口につけて、ずざざざざーっという音がぴったり似合うだろう。そんな擬音と一緒に、ブンちゃんはビスケットを全部、口一杯に流し込み、ゆっくり噛みしめるかのように咀嚼する。ごっくん、と飲み込むとブンちゃんは「まぁまぁだな」と感想を述べた。そりゃ、既製品のビスケットにチョコつけただけだからね。 じゃないよ、わたし。ブンちゃんのいきなりの大胆な行動に感心してる場合じゃないよ。 いくら簡単なものとはいえ、ちょっとは味わって食べてよ。一応、愛だけはブンちゃんがもらったどのチョコよりも入ってる…と、思う。うん。自信がないのは、もらうチョコの中にはたまにブンちゃんを猛進的に崇拝している人のがあるから。その人たちに比べれば、わたしの愛なんかちっぽけなのかもしれない。 いつの間にかいつもの俺様に戻ったブンちゃんは、急にブスッと不機嫌になってこう言った。 「つか。手抜きしてんじゃねぇ」 一昨年はトリュフ、去年はクッキー、今年はビスケット! 私が今まで作って来たものを列挙し(クッキーはともかくトリュフは手を抜いた気はしてないんだけど)びしっと、人差し指を向けてブンちゃんは怒りを露わにする。 「来年、板チョコとかよこしやがったら承知しねぇぞ!」 なんて言うブンちゃんの眼は本気だった。承知しないもなにも、そこまで手を抜いたものをあげるつもりはないんだけど。ブンちゃんはやっぱり食べることしか考えてなさそうだ。いいじゃん、別に。ちょっと手ぇ抜いたってさ。手のこんだものを食べたいんだったら、どうせ女の子からいっぱい貰ってんだからそれでも食べてなよ。 そりゃわたしだって、ブンちゃんのことは好きだし、もっとブンちゃんにすごいもの、ケーキとか作りたいよ。でも、ブンちゃんは何でもわたしより上手に作っちゃうんだもん。普段から舌が肥えてるブンちゃんに、わたしの作ったものなんか美味しいって思うはずないじゃん。だったら最初からそんなもの作らなければいい。わたしはブンちゃんが思ってるほど自分のプライド捨ててない。惨めになるくらいなら、端から凝ったもの作らない。 「…ブンちゃんはいっぱいいろんな子からもらうじゃん…」 「は?」 「凝ったもの食べたきゃその子たちの食べときゃいいじゃん!」 わたしは普段、声を荒げて怒ることはない。正確にはブンちゃんに対して本気で怒ったことがない。ブンちゃんがすぐブチブチ怒っちゃうからか、怒りの沸点が異様に高い。だから、自分でもこんなに大きな声で怒鳴るなんて、しかもブンちゃんに対して感情をぶつけるなんて思いもしなかった。 ブンちゃんも、わたしがいきなり怒りだしたから、びっくりして大きい目をさらに大きくして丸くさせてわたしを見てる。 イヤな子って思われたかな。そりゃそうだよね。ブンちゃんはわたしと違ってお返しもしっかりしたものを寄越してくるし。バレンタインでいっつもへちょいの渡してたら、割に合わないもんね。変なとこで完璧主義なブンちゃんだもん、怒るのも仕方ない。 ブンちゃんは黙ってわたしを見てる。ブンちゃんは見ようによっては女の子に見えるほど、可愛いっていう形容詞が似合うけど、こういうシリアスな場面ではいきなり格好良くなる。多分、 ブンちゃんの有無を言わせないような力強い眼がそれを可能にさせるんだと思う。こういう時だけ、ブンちゃんはすごく逞しい男の子になる。 じっとわたしを見たまま、ブンちゃんはパーカーのポケットに手を突っ込んだ。例の何かを入れた方のポケットに手を入れた。それは、ピンク色の包装紙に包まれ、赤いリボンがあしらわれた小さな5センチ四方の箱。 ブンちゃんはその箱を手のひらに置いて「ん」とわたしに手を差し出した。いつもの2月14日なら手のひらの上に何もなくて、ただ、わたしにチョコを催促しているのだけれど、今年の2月14日はねだるだけじゃなくて、わたしに何かくれるらしい。 「え?」とブンちゃんとブンちゃんの手を交互に見ていると、「やる」と言われた言葉をきっかけに、わたしはやっと箱を受け取る。受け取った後、ブンちゃんが早く開けろ、と言わんばかりに顎をやった。顎で使われているようで、ブンちゃんのこの仕草は好きじゃないんだけど…自分の意見をさほど強く言えないわたしは、ブンちゃんの言うとおりに従った。 包装を剥ぎ、箱を開けると。チョコレートが一粒だけ入っていた。けれど、ただのチョコレートじゃない。チョコをアルミカップとかに入れて固めたんじゃない。ちゃんと何かの型に入れて冷やしたらしく、形がきれいに整っている。さらに、チョコレートには淡いピンクでハート柄の模様が入っていた。まるでお店で売ってるような、一粒300円はするようなチョコレートに見える。 「これどうしたの?」と聞く前に、ブンちゃんは「作んのに苦労したんだぜィ」と得意そうにわたしに笑いかけたから、手作りは確定的事項らしい。すごい。骨が折れる、とはこのことなんだろう。 感嘆するしかないわたしを見て、ブンちゃんはにっこり笑う。一転して、機嫌が良さそうだ。「返す」と瓶をわたしに向けて差し出す。差し出されたから、なかば条件反射で瓶を受け取ろうと、手を伸ばす。 そして、瓶をブンちゃんの手から受け取り、ブンちゃんの手が瓶から離れた。と思ったその瞬間、ぐっと瓶を持っている腕を掴まれた。 手首にカイロをはりつけたかのような暖かさに思わず「へぇっ!?」とある意味あられもない声をあげるわたし。その声に「ひでぇ声」と失笑するブンちゃんは、とても楽しそうに笑っている。こっちは突然の事態に頭が対処できていないというのに。今のわたしの意識はブンちゃんの手に意識を持って行かれていて、ブンちゃんの手でっかー、とか、ブンちゃん指長ッ!とか、まぁその他諸々、考えてしまって、わたしはただ笑っているブンちゃんをボケッと見つめることしかできない。だから、ブンちゃんが言ったこの言葉をサラッと聞き流してしまった。 「俺は好きなヤツには自分の全力をぶつけたい。自分ができる最大限のモノを作ってやりてぇんだ」 だから、これを作った。 ブンちゃんはわたしの手首を掴んだまま、わたしがもう片方の手で持っているチョコの箱からチョコを取り出し、わたしに半分だけかじらせた。中途半端にくわえさせられたチョコはわたしの唾液で、溶け初める。唇がベタベタするけれど、それより何よりブンちゃんが残りの半分を奪いに来たことの方が気になる。気になるなんてレベルじゃなくて、パニックの方が正しいかも。一瞬だけぷるん、とした感触が唇に触れた。グミのような感触なんだけど、味はチョコレート。不思議な組み合わせ。 ブンちゃんの大胆かつ、破廉恥な行動に腰が砕けてしまった。へろへろになって、その場に崩れ落ちそうなわたしのライフポイントをさらに奪うかのように、ブンちゃんはチョコをわたしに齧らせた手をわたしの腰に回し、わたしを支える。その時にぐんっとブンちゃんが顔を近づけて来たもんだから、恥ずかしさのあまり思わず顔を背けようとするけど、ブンちゃんが私の腕の拘束を解き、その手でわたしの顔を固定するもんだから、強制的にブンちゃんの方を向かされる。腰と顔と拘束されて、穴が有っても入れない。鬼だ、ブンちゃんは。サドだとは思ってたけど、鬼畜だ。 その後、ブンちゃんは止めの一撃としてもう一度、ぷるんっとわたしにグミを与えてから 「だからお前も本気で作れ。たとえチョコの中に毒が入ってようと、お前んだったら全部食ってやんよ」 と、男前な台詞を吐いた。 もう、そんな風に言われたら、頑張るしかないじゃないですか。 や、むしろわたしの気持ちを知っていたんですね、ブンちゃん。 |