もしも、世界が壊れたなら








「いい天気だな」と、ぽつりと呟いたのは切原くんで。






その声はいつものような挑発的で抑揚のある声ではなくて、果てしなく続く道のように真っ直ぐで、まるでトンカツの下ごしらえをするために豚肉の繊維をぶった切って伸ばしたかのように真っ平らだった。切原くんの言ったとおり、今日の天気は申し分がないくらい、空は真っ青で瑠璃色に冴えわたり、木綿の雲がぷかぷかと、空という名の海に浮かぶ浮き輪のように。ただただ、流れていた。本当にいい天気だ。お日さまも出ていて、ぽかぽかとピクニック日和。こんな日はお弁当を作ってお気に入りの赤い自転車で全速力。風を切って、ううん、わたし自身が風になるくらい速く、より速く、人をかき分けて前進したくなる。そして、適度にお腹が空いたら野原や緑生い茂る土手に座って、ちょっとだけ早起きして作ったお弁当を広げてランチタイム。サンドイッチの卵の味付けが濃かったり、冷凍食品に頼ってばっかりでそんなにおいしいものでもないけれども、肌に感じるそよ風と、ざわざわと歌う木の枝、パタパタと可愛らしくも健気に飛ぶ黄色と白の蝶々、身体全体で自然を感じるだけでわたしは幸せだ。けれども、わたしはお世辞にも今の天気が「いい天気」だとは言えなかった。わたしが思ういい天気とは、自然を実感できることが前提の穏やかな天気のことであって、ただ晴れ渡っていることを指しているのではない。ましてや、今。こんなにも瓦礫だらけの世界で、自然を感じられるとは到底思えない。わたしが認めるいい天気とは、緑のある光景が前提となっているので、けしてこのように灰色の人工物、鉄筋コンクリートが崩れ落ちて緑を支配する世界ではない。わたしが認めるいい天気とは、木々が楽しそうにそよぐ声があることが前提となっているので、けしてこのように「痛い」だとか「苦しい」だとか「助けて」だとか、人の苦痛溢れるうめき声でそよぎを支配する世界ではない。わたしが認めるいい天気とは、口いっぱいに広がる手作りのサンドイッチや冷凍のから揚げを頬張ることが前提となっているので、けしてこのようにコンクリート製の学校の校舎が崩れた衝撃で頭を打ったり、口の中を切ってしまったことによる血でお弁当の味を支配することではない。こういう理由で、今この状況はわたしにとって「いい天気」ではないのだ。





「晴れてるよね」返答するなら、こう答えるのが妥当だと思った。切原くんの独り言なのか、問いかけなのか、判断しにくい言葉にわたしはこう切り返した。切原くんは「ああ、晴れてる」と言って、再び口をつぐんだ。ここまで、おとなしい彼を見るのは初めてだった。わたしと彼は、いわゆる同級生っていう関係なのだけれども、いつも彼はにぎやかでクラスでも中心的存在だった。彼を例えると、部屋の中にある蛍光灯だ。暗い部屋を明るくともす、蛍光灯だ。電球じゃないのは、思いやりや温かみがあまり感じられないから。言ってしまうと語弊があるかもしれないけれども(多少の思いやりや温かみも存在するかもしれないから)ただ、ひたすらみんなを照らす、明るい人だというイメージなのだ。けれど、先生に怒られても、部活の先輩に怒鳴られた時もケロッとしていた彼が。今、初めて表情を曇らせている。流石に、学校が瓦礫の山となったのだから無理もない。それに、学校だけじゃない。学校の周り、否、わたしたちの周りの建物という建物全てが一瞬にして瓦礫になってしまったのだ。何が起こったのかは理解できない。ただ、わたしたちは普通に授業を受けていて、その時にいきなり大きな物音と揺れと衝撃が襲って、気づいた時には切原くんが隣にいたのだ。切原くんもわたしも思うに、これは俗に言う「地震」というものだと思う。それも超級の。なぜ、わたしと彼が生き残ったのかはわからない。非常に幸運だった、としか言いようがない。わたしよりも先に気がついた切原くんに他の人たちはどうしたか、を聞いてみた。すると彼は、わたしたちが瓦礫の方を指差した。瓦礫のからは、以前と地響きのような唸り声が聞こえる。その声は余震と人の唸り声が交っているもので、おおおおおおおお、と地獄から這い上がった悪魔の雄たけびのように鼓膜を刺激する。思いのほか余震が大きくて、そして声が思いのほか大きくて、わたしと切原くんは思わずお互いにしがみついた。自然と抱き合う形となったが、恥ずかしいとかそんな気持ちはとうにどこかへ消えていた。それよりも、2人とも恐怖心の方が勝っていたのだ。また地震が来る、自分たちも瓦礫の山に埋もれてしまう。けれど、動けない。怖くて動けないのだ。わたしたちの恐怖を感じ取ったのか、思いのほか余震は早くに収まった。そのことに、わたしたちはほっとしてしがみつく力は弱まったけれども、それでも未だ抱き合ったままだった。理由は特にない。ただ、離れたくない。わたしも、おそらく切原くんも。じっとしたまま、わたしたちは動かなかったけれど。からん、と瓦礫の山から小さなコンクリートの塊が崩れたのと同時に。わたしたちは2人して泣き出した。形振り構わずに、大声で泣いた。一瞬にして全てを失くした恐怖、そして自分たちをも飲み込んでしまう灰色の重い闇への恐怖、それからこれから何が待ち受けているのかわからない恐怖に耐えられなかったのだ。






「死にたくねぇ…死にたくねぇよ」








そう叫びながらぎゅっと、わたしをさらに抱きしめる切原くんの体温を直に感じた。暖かくて、まるで兄のような、それでいて弟のような。恋人であり友人のような優しいぬくもりを彼に見出した。その温もりを以て、人が生きていることを改めて実感した。また。彼の体には血が通っていて、心臓がドクドクを動いている。生きているのだ。切原くんは。瓦礫の下の人は切原くんの持つ温かさが消えてしまったんだ、と思うとさらに涙を流した。切原くんは蛍光灯なんかではない。やはり電球なのだ。だって、こんなにも優しい温かみを持っているのだから。