切原赤也くんは、わたしと同じクラスの男の子だ。

成績はパッとしないけれど(いや、ある意味突出していてパッとしているかもしれないけれど)

その「いろんな意味」で強烈な性格と、整った容姿により、彼の存在感はわたしたち一般ピープルの中では抜きんでている。

古い言い方をすると、「ピカイチ」とでも言うのかな?要は彼は目立つってことなんだけどね。







一般論を言うと、彼はとてもおモテになられる。(ここで謙譲語を使っているのは、わたしが彼に対して遜っているわけではなく、一種のイヤミなわけ。)

そりゃあもう。端から見ると、もうかわいそうなくらいよくモテる。

彼が行く先々には女性の陰があり、出会った数だけ女性の涙がキラリと光る。

つまりは「いろんな意味」で女泣かせということ。いろんな意味で、ね。(そこは自分で考えてね)








でも、毎日毎日、女の子に差し入れやら、プレゼントやらもらえるのは羨ましいかも。

そりゃ、中には変なものも入ってるかもしれないし

(たとえば……唾液入りのお菓子とかさ。たまに好きになると何するかわかんない人っているじゃん?女の子たちが間接キスとか言って喜んでたらいやだな……)

でも、タオルとか実用品もらったりしてるのを見ると、「いーなー…わざわざ買わなくても貰えるのって」と思ってしまう。

こういう時だけ、わたしも切原くんだったらなー…と、不謹慎だけど思ってしまう。









さらに逆説。目立つから、顔がいいから、羨ましいと思ってるからと言って、わたしは彼に惹かれているわけではない。断じてない。

切原くんは…まぁ、いい人なんだろうけど、「素直な無礼者」という印象がついて回って離れない。

遠目から見て、誰に対しても裏表なく接していることは評価すべき点であるとは思う。

でも、素直さと無礼さは紙一重。誰に対しても失礼ぶちまける姿は感心できない。

例えば、目上に対する挑発的な態度とか不遜行為とか。

特に女の子に対して「デブ」とか「ブス」とか、冗談でもズバズバ言うのはどうかな?と思う。失礼極まりない。

そして、部活における切原赤也暴走状態。

あれは絶対無理。

もはやテニスですらない。テニスコートがリングに見えてしまったよ。

試合終了と共にゴングがなる幻聴まで聞こえてくるし。





根はいい人なんだと思うけれど、こう人を傷つけるようなことを言う人間もだし、ましてや人の体を傷つける人間なんてもってのほか。

よく考えたら、やってること最低じゃん。顔だけのヤツじゃん。

本当、周りはいいとこしか見てないんだな、ってつくづく切原くんと切原くんを囲む女の子たちを見て思う。






わたしが切原くんに話しかけることはほとんどないけれど、切原くんがわたしに話をしにくることは多々あることだ。

それは昨日のテストの具合だったり、テニスのことだったり、ゲームだったり女の子との恋愛話だったり。

わたしの情報を聞きたがるし、自分の情報を与えたがる。誕生日や血液型、家族構成から趣味・特技。好きなタイプまで。

彼はわたしから情報を聞き出そうとする。

あまり親しくない人間に自分の話をしたくないわたしは、彼が聞くたびに曖昧にしている。

さすがに家族構成や趣味・特技、好きなタイプといったプライバシーに関わることまでは言いたくない。

そしてそれを聞き出すためなのか、彼はいちいちわたしに情報を与えてくる。

しかも、わたしが何回もはぐらかしているから、何回も同じことを言ってくる。彼に関することならイヤでも覚えてしまった。

誕生日は9月25日、血液型はO型、家族構成は両親とお姉さん、趣味は格ゲー、好みのタイプは明るい子。

本人の口から聞いてるから、間違いはないんだろうけれど。

切原くんには悪いけれど、興味がないから、こんな情報を持ってるところで意味はない。







友達は「切原はのこと好きなんだよ」とか「切原、と話すときだけめっちゃ耳赤いんだよ」とか、

挙げ句の果てには「付き合っちゃいなよ」なんて他人事だと思って言ってくる。…実際、他人事だけど。






切原くんが、わたしに気が有るのはなんとなくわかってた。例えば彼がわたしに話しかける時。

乱暴な言葉使いや人に対する暴言を控えていたり、また緊張しているのか、掌をしきりにズボンで拭くという行動。

他にもいくつか例はあるけれど、彼は他の子たちの前で取ることはない行動をわたしの前で取っていたから、

わたしに何かしらの好意を寄せていることは感づいていた。






けれども、わたしは何度も言うように切原くんを好きではない。付き合う気も起こらない。

例え、わたしに優しい人間であったとしても、人間の本質なんてそう変わりはしない。

彼の中の気持ちが冷えたら、わたしもその他大勢の女子の一部に変わり、悪態を吐かれるんだ。






そんな上辺だけの人間は好きではない。

だから、切原赤也という人間を好きになるなんてありえない、と思っていた。









ある日。

さわやかだけれども、太陽がじりじりと身を焦がす初夏のある日。








体育の授業だった。

いつものように、更衣室で体操着に着替えようとしたその時、体育館シューズを教室に忘れたことに気づいた。

友人には先に行ってくれるよう告げて、わたしは来た道を戻り始めた。

授業開始まではあと少ししかない。しかも着替えも済ませてはいない。

着替えてから、取りに戻るべきだったと思い、足を更衣室へ向けるけれど、そんなことをしたら余計時間がかかるだけだ。

わたしは三度、足を戻して教室へ足早に向かった。









どの教室の扉にも刷りガラス状の窓ガラスが一枚貼られている。

そこから中の様子を見ることは可能だけれども、その世界だけモザイクがかかったようにはっきりと状況はつかめない。

これにより、教室内のプライバシーは有る程度守られているのかもしれない。





どの教室にも廊下側の壁の足元と天井に小さな窓がついている。

小さいと言ってもかろうじて人は通れる大きさになっている。

だからSHRの時間に間に間に合わなくても、廊下側の子の協力があれば遅刻だとばれずに教室に入ることができる。

(大方そんなことやってんのは男子で、成功するのは切原くんみたいな小柄で運動神経がいい子くらいだけど)

窓がある理由は私学のくせしてクーラーがない、うちのマンモス学校ならではのアイディアで、風通しをよくするためらしい。

(高い金払ってんだからクーラーくらいつけろよ。せこいなぁ)









わたしの教室は鬱陶しいことに校舎の最奥にある。

他のクラスの教室とは階段を隔ててほとんど隔離状態にある。簡単に言うと教室の右隣は階段、左隣は壁。

つまり、うちの教室はたとえイジメが起ころうとも、乱闘が起きようとも、周りに人がいないから何をやってもバレることはほとんどないのだ。






教室に戻ったわたしは、女子の鍵当番に借りた鍵で扉を開けようと、鍵穴に鍵を差し込もうとポケットの中を弄り、鍵を手にした。

そして、その鍵で扉を明けようと。鍵を入れる瞬間。







ガタンッ。








中から椅子か机か、何かが倒れる音がした。

音は心臓が飛び出るくらい大きく、突然のことに思わず肩がびくっと震えてしまった。

うちのクラスは次、体育のはず。わたし以外、みんな体育館に向かっているはず。

こんな大きな音、椅子が倒れたような音。人為的な力が加わらない限り、するはずがない。

誰か中に居るんだ。

わたしは確信した。






サボりなのかな。そういえば今日は体育館でマット運動だからな。

やってられないよね。サボりたくなる気持ちもわからないでもない。

わたしもいっそのこと、サボってしまおうか。保健室にでも行って。

でも、元来真面目でチキンなわたしにはサボるなんて芸当、できるはずもない。

遅れてでもいいから、授業に出よう。

鍵をスカートのポケットに再び直して、わたしは扉の取っ手に触れた。

それと同時に今度は「うっ」という呻き声が聞こえた。

その声がまた大きくて、またわたしはびっくりして今度は取っ手から思いっきり手を放した。

放したついでに手を思い切り壁にぶつけてしまって、爪が少し割れてしまった。

綺麗に磨いてオーバルに整えていたわたしの爪。

割れて形が悪くなってしまって、がっくりと。そして悲しくなった。呻き声を上げた中にいる人間に少しだけ怒りがこみ上げた。








「…うぁっ…はっ…」







その後も呻き声は続く。

さっきよりも、その声は大きく艶があり、所々混じる息を殺した嗚咽に似た息づかいが色っぽく聞こえた。

その色のある声を聞くたびに脳天を雷のような何が直撃した感覚に陥る。

中で何が行われているのだろうか。

今のわたしの脳を支配するマジョリティは恐怖心。

そしてマイノリティである好奇心と期待感が、わたしの体を支配する。

マイノリティがわたしの手を動かす。マイノリティがわたしの手に扉を掴ませる。

恐怖と期待におののく心臓、高ぶる気持ち、荒くなる呼吸、吹き出る汗、見開かれる瞳孔、研ぎすまされる感覚!










興奮状態に陥ったわたしは扉を、

禁断の扉を少しだけ開けたのだ。

覗く程度。

興奮していても、ビビりのわたしには完全に開けることはできなかった。





少しの隙間から片目で中の様子を伺う。

目に飛び込んできたもの。なぜか、散乱している机と椅子。

荒らされたように椅子がひっくり返っているけれども、机は中身が出てこないようになのか、列を乱しているだけ。

その中にポツンと佇む人影。









教室に居たのは切原くんだった。











切原くんのいる教室はなぜか生臭くて、わたしが嗅いだことのない異臭で。

この匂いは嫌だ、嫌いだ、と思った。

ただ、切原くんは教室にいるだけじゃない。

切原くんは椅子に座っていた。

ドカッと。

男の子が脚を開いて座るいつもの座り方で。

ただ違うのは、











切原くんが靴下意外、何も着てない裸だっていうことと。

切原くんが自分の性器を掴んでいたということ。











切原くんは散乱した机と椅子の真ん中で必死に自分の性器を擦り上げていた。







「あっ…くぁっ…」











擦り上げるたびに色のある声を出す彼は、ギュッと目を閉じて腰を振っている。

さっきから艶っぽい声を出していたのも彼なんだろう。

真っ白な肌の割に、手の隙間から見える切原の性器は浅黒く太かった。

保健の授業で教えてもらったときに大体それがどんな機能を果たすのかも知っていたし、

男の子と関係を持ったという女の子から話は聞いていて、朧気になら理解していたけれど、








「それ」はわたしが想像していたものよりも大きかった。

あんなものが、人の体に入るなんて不可能だと思った。








一刻も早くここから立ち去りたい。

けれど、体育館シューズを取りに戻らなければ。授業には出れない。

中に入れない。

切原くんが行為に没頭すればするほど、入りづらいし言い知れない恐怖が心の隙間という隙間に入り込んでくる。










今、入るとただでは済まない。

誰であっても入ってはならない。

逃げなさい。









誰かがわたしにそう言っている。

わたしの身体は恐怖で動かない。

陰を廊下に縫いつけられたように、わたしの脚は、腕は、身体は動かない。

ただ、呆然と切原くんの自慰行為を見ているしかなかった。









切原くんは時折、頭を振って快感に耐え、そして獣のように声を上げて快感を得ていた。

わたしは相変わらず切原くんの性器に釘付けで、まだまだ大きくなるそれに、「恐怖」を改めて認識した。

これは無理だ。

セックスを経験したことがある友人が言うに、女は太ければ太いほど、快感を得ることができる、と豪語していたけれど、

想像の域を脱したそれを欲しいとは、思わない。

それはわたしが処女だからかもしれないけれど、あんなもの入れてあんあんよがれるなんて、理解に苦しむ。

タンポンを初めて入れる時ですら、小さな痛みを感じたというのに。

あれ以上の痛みなんて、きっと耐えられない。

拷問だ。











!」












切原くんにいきなり名前を呼ばれた。びっくりして、返事をしそうになったけれど、彼の目は今だ閉じられたままで。

これはひょっとしたら、










っ…あっ…好きだっ!好きだっ…っ…っ!」










切原くんがオカズにしてるのはわたしだ。

切原くんが、あそこまで腰を打ちつけて、性器を擦り上げ、一心不乱に快感を得ようとしている人間は

わたしなんだ。









切原くんは大きな大きな「アレ」をわたしの中に挿れたいんだ。そして、腰を打ちつけ打ちつけ快感を得たいんだ。

不意に友人の言葉を思い出した。











切原はのことが好きなんだよ。










好きだからといって、切原くんはわたしとこんなことしたいの?

わたしに「アレ」を挿れて殺したいの?

わたしを性欲処理に使いたいの?









「出すぞっ…、ぁあっ!」











その瞬間、切原くんの手から白い何かが勢いよく飛び出した。

射精、なんだと思う。

わたし、きっと彼の中では中出しされてるんだ。

妊娠してしまうことは範疇にないんだろうか。

つくづく自分勝手な男だと思った。









わたしの目から涙がこぼれた。

うまくは言えないけれど、切原くんへの恐怖以外の何かがそうさせているんだ。

だって怖かったらとっくに泣き出していると思うから。

恐怖以外の何か、とはよくわからないけれど、きっと混乱なんだと思う。

今まで見知っていた切原くんが、いきなり魔物のように変貌してわたしを食らおうとしているんだ。

頭ではそうだ、と理解していても心がついて行かない。

感情のコントロールができないんだ。











息がまた荒くなった。

うまく空気が吸えない。

苦しくて苦しくて、目眩がしてくる。





自慰を終えた切原くんは全裸のまま、息を整えていた。

手が離され、脱力感から脚をさらに広げたことにより見えた性器からはまだ、精液が飛び出している。





切原くんは恍惚とした表情で「」と再びわたしの名前を呼んだ。

今度は優しく、それでいて悲しそうに。愛しそうに。

わたしが側にいるなんて知らずに。









再び嫌な香りが鼻につき、吐き気を覚えた。

さっきわたしが嫌だと感じた匂いが吐き気を誘っているんだ。

吐き気は「吐く」という確信に変わり、異物感が胃に押し寄せてきた。

それと同時に金縛りから解放されたかのように、わたしの身体は活動を開始した。







「うぇっ」








口から出てくる消化物を両手で抑えながら、わたしはお手洗いへと走った。

足音をパタパタさせて走ったから、切原くんにも聞こえていたと思う。

教室のすぐ隣が階段でよかった。でないと、運動神経抜群の切原くんに捕まえられるところだった。





お手洗いにつくころには、かなり限界に近づいていて個室に入るとすぐに便座を明けて、

スカートが汚れること、床が汚いことなんてお構いなしに、わたしはしゃがみこんで戻した。

朝食べたものはもちろん、胃液も吐いたと思う。

喉から胃にかけて、焼けるように暑い。吐いても吐いても楽にならない。

口に指をつっこんでも、苦しくなるだけだった。







つらくて、かなしくてまた涙が出た。

何がつらいのか。

切原くんが教室で自慰をしていたこと?

何が悲しいのか。

切原くんがわたしをオカズにしていたこと?






切原くんがわたしを好いてくれているのは嬉しいことだし、好きな相手とセックスをしたい気持ちもわかる。きっと、

わたしだって恋をすればそう思うだろう。









でも、嫌だ。

汚らわしい。

今、切原くんによって、わたしは汚されたような気がする。

何も知らない無垢だったわたしを、今日。

ううん、昨日も一昨日も前からずっと、

わたしは切原くんに汚されていたんだ。









汚いわたし。

汚されたわたし。








切原くんのしていたことは

わたしを強姦しているのと同じじゃないか。









あんなもの、見たくなかった。

汚くなりたくなかった。










便器の汚水に浮かぶわたしの顔は涙と鼻水と消化物とでぐしゃぐしゃに歪んでいた。