テストまで後1日を切りました。

拳骨以来、切原くんは心を入れ替えたように勉強をしています。



が。

やっぱりちょっとやそっとの時間じゃ伸びませんね。
2年間の学習量を一週間でやり遂げるのは不可能に近いです。正直。
切原くんはよくがんばってくれています。
なんとか基本的な文法事項は形になっていますが、単語力が無いコトがやはりネックです。
英語は法則性を理解した上で、単語力が物を言う教科。
今の切原くんでは点数はあがると思いますが、劇的な変化は望めないでしょう。


ちらり、と切原くんを見ればわたしが作った単語表と睨めっ子状態。
単語は全部、切原くんの学校で使っている教科書から引用しています。
数はざっと500はあるでしょうか。
簡単な単語から難しい単語まで全部載せています。





「こんなにたくさん覚えるんスか?」



切原くんがげんなりしてわたしに質問して来ます。



「ぜーんぶ切原くんの教科書に乗ってるよ?」

「マジでか」



うげっと切原くんは舌を出し、いやいやと首を横に振る切原くん。(可愛いかも…)




「文法だけでもめんどっちぃのに…その上単語まで…」




もう勘弁してくださいよ。
と、弱音を吐き出す切原くん。プリントを乱雑に机の上に置いてフーッと大きくため息をついちゃってます。
それからべちゃっと机の上に突っ伏しています。




「がんばるんじゃなかったの?切原くん」

「がんばるっつってもこの量は異常デショ」

「一年の時に習った単語がほとんどだから、切原くんが知ってる単語もあるよ」

「やー…でも…この量は…」




俺には無理。




完全に諦めモードの切原くん。
やる気を完全に殺がれてしまったよう。




ダメじゃん、切原。がんばるっつったじゃん、切原。約束したじゃん、切原。




そう思うと、ちょっとムカッと来てしまいました。
切原くん、君はわたしとの約束をまた破るの?
この間も焼き肉行って破ったとこじゃん。
そんで今日だって「無理だから」って破ろうとしてるコト、ないですか?
「がんばる」って約束は口だけなの?




がっかりだよ。




「切原くんが無理って思うならやらなくていい」





机につっぷした切原くんを起こして、しわくちゃになったプリントを回収します。
声のトーンを落としたからか、切原くんが「ヤバい」と言わんばかりの渋い顔をしています。





先生?」

「何?」

「怒ってる?」

「どっちかって言うと」

「…すいません……ちゃんとします」

「いいよ。出来ないんでしょ?」

「や、できます」

「無理なんでしょ?さっき言ってたじゃん」





冷たく切り返すと、切原くんは困ったように、気まずそうにわたしをちらちら見ます。
わたしを怒らせたコトに負い目をかんじているようです。
勉強を中断しているので、シャーペンで何かを書く音も、消しゴムで何かを消す音も、紙がぺらぺらめくれる音も聞こえない、無音状態。
わたしと切原くんの間にイヤ〜な雰囲気が流れます。
何に対してわたしが怒っているのか、切原くんは分かっているのでしょうか。
別に勉強を怠けようとしたコトに対して怒っているわけではありません。
ただ、一度破った約束を、また破ろうとしているコトが許せないのです。




「切原くんはさ」




切原くんと、少しお話しないといけません。
わたしが君の何に怒っているかを。





「はい?」
「テニス、好き?」
「はい!」




切原くんは暗かった顔が一気にぱっと太陽のように明るくなりました。
一気に元気になりました。
よっぽどテニスが好きなんだな。




「テニス部には強い人、いる?」

「そりゃあもう!」





幸村部長でしょ?真田副部長でしょ?それから…





指を折って切原くんは人の名前を羅列していくけど、ゴメン。
わたしその人たち知らないんだけど。
それに、わたしが言いたいことはそういうコトじゃないんだ。





「その人たち、そんなに強いの?」


「はい!全国でもむちゃくちゃ有名で、化けモンみたいっス!!」

「切原くんは、その人たちに勝ちたい?」

「もちろん!つか、今すぐにでもこてんぱんに!」





こてんぱん…?
テニスってそんな競技だっけ?





「でも勝つなんて到底無理なんじゃない?」

「んなことねっス」






切原くんはわたしの言ったセリフに気分を害したよう。
眉をぐっと寄せて、口を尖らせて。まるっきり子どもの怒り方。


この二週間でわかったコトが一つある。
切原くんは怒ったり、興奮すると、饒舌になる。
他人が話す隙を与えないほどに、ぺらぺらと喋る。




「そりゃ、確かに?オレはあの人たちに比べたらまだまだ弱いっスよ!でも無理って決めつけなくてもいいじゃないっスか!」




どの口がそんなコトを言うか。




「努力したらいくらだって自分に返ってくる!テニス知らねぇくせに無理なんて決めつけんな!」





相当、ぶち切れたのかわたしに対して敬語がすっかり抜け落ちています。
今はそのコトが問題ではありません。
この子、英語に関しては自分で「無理」と言ってますが、テニスでは「無理じゃない」と言い切っています。
よく、そんなこと言えますね。無自覚にも程がございます。

自分のセリフがかなりの矛盾を抱えている、ということに気づいていない切原くんは
わたしをギッとにらみつけています。
普段から大きい目のわりに、目つきが鋭いのでにらまれると非常に怖いです。





「うん。無理と決めつけたのは悪かったね。ごめんね」

「分かってくれりゃいいんスよ」




わたしから謝罪の旨が発せられると、ちょっぴりふんぞり返った切原くん。
上から目線で話しています。(このやろう。調子にのりやがって)

でも、ここからがわたしの本領が発揮されます。
曲がりなりにもわたしは家庭教師。
バイトですが、勉学のエキスパート。
そしてわたしは切原くんよりも、人生経験は積んでます。
彼よりは世の中の酸いも甘いも知っているつもりです。
わたしの頭と口は年下に負けるほどのものではございません。





「じゃ。英語だって無理じゃないよね」




わたしがニコッと笑って、切原くんに再びプリントを渡すと「へ?」と目を点にさせました。
何コレ?どういう事?とでも言うかのように目をぱちくりさせて、わたしとプリントの両方を見ています。





「切原くん、言ったよね?無理って決め付けるなって」

「え、でも、それは、テニスの話で…」

「え?テニスだって努力しないと上手くなんないんじゃないの?」

「それはそうッスけど…」




大体、切原くんにわたしの言いたいことが伝わってきたようです。



わたしが言いたかったこと。




やってもいないのに弱音を吐くな。




切原くんは単語を覚えようともしないのに、無理と決めつけて投げ出しました。
それは自分が苦手とする科目だからかもしれません。
しかし、テニスに関しては、たとえ自分の実力が劣っていても、強者に立ち向かって行く度胸を持っている。
自分を信じて疑わない、強い心を持っている。
でも、なぜ。英語に関してはそう投げやりになるの?
それは嫌いだからだよ。英語が嫌いだから、投げやりになって無理って決め付けるの。
そうやって嫌いなものからは目を反らして避けて避けて、通り過ぎるまで待つっていうのは。



逃げてるってことなんだよ。





「切原くんは英語が嫌いだから逃げてるんだよ。楽して点数を稼ごうとしてる」






だから、単語を覚えろって言ったときしかめっ面をした。
嫌いだから、そんなこまこましたもの覚えたくないって。
でも、テニスと一緒で努力しないと英語だって点数は稼げない。
自分で言ってたじゃん。
努力した分、自分に返ってくるって。
英語に関しては違うの?努力した分だけ、自分には帰ってこないの?






「どう思う?切原くん」





わたしの思い過ごしだったら、本当に失礼なこと言ってるけれど
今の切原くんからは100パーセント、思い過ごしっていうのはないと思う。
どこかで心に引っかかるものはあるはず。




改めて、切原くんを見ると俯いて、何かを考えるかのようにじっと単語のプリントを見つめていた。
怒らせてしまっただろうか。
………逆効果だったのかも。





そりゃそうか。





心の中で、言うんじゃなかったとため息を1つ。




しばらくした後、切原くんがシャーペンを手に取りくるくる回し始めました。
目線は単語プリント。





先生」





切原くんはわたしに言いました。




「オレ、今までがんばってなかったかもしんない」




切原くんの声のトーンはとても落ち着いていて、今まで聞いたことがないくらい静かでおだやかだった。




ううん、切原くん。
単語に関しては全然、頑張ってなかったけど文法の基礎はしっかり出来てるよ。
まさか、やる気を出せばここまで出来るなんて思ってたくらいだから。
2週間で2年間の文法をきっちりこなすなんて難しいことなんだよ?





「今さらかもしんないけど。間に合わないかもしんねぇけど。がんばる」





今さらなんかじゃないよ。
自分で言ってたじゃん。
やったらやった分だけ、返ってくるって。
だから、がんばれ。
ヤバイ、感動して涙出てきそうだ。
わたしの言葉1つで切原くんが改心したように、今まで真面目にやってたのがもっと真面目にやってくれて。
先生は本当、嬉しいです。





先生、あともう1こ」




切原くんは単語に目を落としながら、こう付け加えました。





「60点以上取ったらごほうび下さい。」





ちなみに。
切原くんの今までの点数はよくて30点台。
60点は切原くんにとって本当に奇跡に近い点数です。

わたしはというと、真面目に単語を勉強してくれるようになった切原くんに、なぜだか感極まって
「もう、ごほうびでもなんでもあげます」と口走ってしまいました。





「先生、約束ッスよ」





わたしに向けて小指を差し出した切原くんの表情は満面の笑みで。
その笑顔が本当、もう可愛くてキラキラしていて。
感極まって泣き出しそうだったので、(むしろ、もう泣いてました。切原くんになぜか笑われていまいました)
このときは何も考えずに、その指を握り返したわたし。





「ゆーびきーりげーんまーんうーそつーいたーらはーりせーんぼーんのーますー」






でも、この約束が後々、とんでもないことになるなんて思ってもみなかったのです。








ホームティーチャー!!! − 約 束 編 −





「先生、何泣いてんッスか」

「うるしゃいなぁ!!!(ずびっ)」