神様。




わたしの彼氏はワガママです。
わたしの彼氏は自分のコトしか考えていません。
わたしの彼氏はわたしよりテニスを優先します。
わたしの彼氏はわたしよりテニス部の先輩を優先します。
わたしの彼氏はわたしよりテニスの方が大事なのです。
わたしの彼氏はわたしがいるのに他の女の子と必要以上に仲良くしています。
わたしの彼氏はわたしがいるのに他の女の子の肩を抱きます。
わたしの彼氏はわたしがいるのに他の女の子とキスをします。
わたしの彼氏はわたしがいるのにわたしを見てくれません。
わたしの彼氏はわたしのことなんてどうでもいいのです。



最初はそれでもいいと思っていました。
最初はそれでも幸せと思っていました。
最初はそれでも、側においてくれるのだったら、贅沢は言うまいと思っていました。




告白したのはわたしです。
この大きな学校で、とっても有名なテニス部のレギュラーに恋をしました。
きっかけはとても些細なことです。
入学式の日、彼がテニス部に入るほんの少し前。
彼の生徒手帳を拾った事がきっかけです。
拾って渡してあげると、彼は満面の笑みでわたしに感謝の旨を伝えてくれたのです。
今、思うと彼はそのことについてすっかり忘れてしまっていると思います。
彼にとっては本当に些細な出来事であったと思います。
でも、わたしにとってこの出来事は本当に大きな事で
その時から彼の屈託のない笑顔がわたしの心を占領して、今でも居座り続けています。
わたしの頭から彼の笑顔は離れてくれません。




わたしは元来、恋愛には奥手です。
中学に入って恋をするなんて思ってもいませんでした。
わたしは元来、真面目です。
恋なんて今のわたしにとって邪魔なモノであると思っていました。




何度も忘れようとしたことがあります。
彼を見ないように、彼を意識しないように努めたこともあります。
しかし、彼を見ようとすればするほど、彼を意識しないようにすればするほど
彼を感じないようにすればするほど
彼を追いかけ、彼を見つめ、彼を意識し、彼を感じてしまうのです。





これが恋。
本当に盲目的なものです。
恋をすると他のことに手がつかなくなってしまいます。
頭を支配するのは彼のことばかり。
彼に好かれたい。
彼の隣を歩きたい。
彼と手を繋ぎたい。
彼とキスをしたい。
そんな欲望をわたしは常に抱いています。
そしてそれが現実に適わない分、恥ずかしながら「妄想」という形でわたしの頭で処理されるのです。
肉欲も少なからず持っています。
彼に触れられたい、という妄想も恥ずかしくも、汚らわしくも、持っています。










2年生の春。
わたしは恐れ多くも彼に思いを告げました。
彼とわたしは1年のときも、ましてや2年でもクラスが違います。
わたしは帰宅部です。
ダメでもともと。
断られたら諦めがつきます。





しかし、彼は
この大きな学校で、その他大勢に埋もれている名前も知らないわたしと付き合ってくれると言いました。
お情けでわたしと付き合うんだとしたら、よく出来た人だと当時は思いました。
このときわたしは、彼への感謝と感激のあまり泣き出してしまったことを覚えています。
そんなわたしを見て、彼は苦笑し「泣くな」と頭を撫でてくれました。





それから、わたしと彼はお付き合いをすることになりました。
と、言っても特に何をするわけでもなく、
部活が終わるまで彼を教室で待っていたり、彼のテニスの試合に行くくらい。
メールアドレスも教えてもらいましたが、臆病なわたしは彼にメールを送ることが苦手でいつも受身でいます。
彼からメールをもらうことがありますが、自分でメールを送ったことは数えるほどです。
一緒に帰るときも、テニスの話が多いですが、いつも面白おかしくわたしにお話ししてくれます。
彼が一方的に話すので、わたしはいつも聞き役です。
わたしもお喋りする方ではないので、そのことについて不満はありませんでした。
彼がわたしに話しかけてくれるだけで、十分幸せでした。









しかし、そんな幸せも長くは続きませんでした。
なぜならば、彼は本当によくモテる人だからです。
わたしが告白をする前から、彼の周りにはいつも女の子がたくさんいます。
わたしなんかが足元にも及ばない可愛い女の子たちが彼の周りにはいます。
彼はその女の子たちと本当に仲がいいです。
お互い下の名前で呼び合っています。




彼女であるわたしには名前で呼んでくれたことはありません。






わたしが彼に用事があるときも、いつも彼の周りには女の子がいて、人見知りのわたしは彼に近付くことさえ躊躇われます。
わたしが人見知りでなければ、こんなくだらない嫉妬に悩まされることはなかったかもしれません。
彼女たちとも仲良くなって、一緒に輪の中へ入って行けたかもしれません。
しかし、わたしはそんなに良く出来た人間ではないのです。
本当は彼に「他の女の子と仲良くしないでほしい」と言いたいです。
でも、彼とわたしは違う人間です。
わたしの価値観、わたしの醜い嫉妬から来るワガママを彼に押し付けたくありません。
だから、彼のやることなすことに干渉するつもりもありません。
彼は束縛を極端に嫌う人間だ、と彼と親しい間柄にあるテニス部の先輩に伺いました。
彼氏の嫌がることをわたしはしたくありません。
だから、わたしはそのようなことが言えないのです。




女の子が側にいることは仕方がないと思います。
それに彼の周りにはたくさん男の子もいます。
ただ、人懐っこいだけなのです。
その性格が現在における彼の人付き合いのスタイルを創り出しているのであれば、長年染み付いた物を払拭しろ、と言う方が無茶です。
なんやかんやで、わたしと毎日一緒に帰ってくれますし、少ない回数と言えど、送ったメールに対しては律儀に返してくれるマメな人でもあります。
名前も知らなかったわたしを彼女にしてくれたんだ。これ以上のことは望むまい。
そうやって、わたしは自分で自分をいつも説得していました。




それでも、わたしだって普通の女の子です。
多少の事は大目に見る事は出来ますが、こればかりは首を傾げてしまいます。




わたしは信じられないものを目撃してしまったのです。




なんと、彼と彼のクラスの女の子が腕を組んで教室移動していたのです。




その日はわたしのクラスも移動教室で、偶然彼と鉢合わせたのです。
女の子が彼の腕にしっかりと自分のそれを絡ませていました。
自意識過剰かもしれませんが、わたしを見て嘲笑していました。
これには、わたしも唖然とするしかなく。
彼が声をかけてくれましたが、返事を曖昧に返す他ありませんでした。




わたしとは手を繋いだことすらありません。








この日を境に、わたしの心は、わたしの頭は平衡感覚を失い、彼を見る目も変わっていきました。
彼に会う度に怒鳴り散らしそうになるのです。
「どうしてよ」「わたしとは手もつないでくれないのに」「彼女でもない女とそういう事するのよ」
これも、彼なりに考えがあるのかもしれません。
本当は、わたしを大切に思ってくれていて、あえて手を繋がないとか。
もともと、腕を組むことやボディータッチになんら抵抗のない人であるとか。
女の子たちがいつも無理に組んでくるからもう慣れっこだとか。
たくさんの仮定が頭の中を過ぎりますが、どの説もわたしの心を鎮めてくれるには説得力に乏しく
わたしの心の中の混沌はどんどん増すばかりです。




この頃から彼と一緒に下校することも苦痛でしかなくなりました。
彼の話は好きだし、彼の笑顔も好き。彼の全てが好き。
でも。
それは「わたし」の話であって、彼がわたしのことを好きであるのかはわかりません。




付き合って欲しい、と言ったのはわたしであって彼ではない。
好き、と言ったのもわたしであって彼ではない。




果たして本当に彼はわたしのことが好きなのだろうか。
彼はわたしに魅力がないから、女の子をいつも寄せているのではないのだろうか。
彼はわたしのような陰険女がイヤだから、女の子をいつも腕に引っ付けているのではないのだろうか。



被害妄想も激しくなりました。
彼はわたしの頭の中を読む事の出来るエスパーで、わたしの考えなんかお見通し。
だから、わたしが気持ち悪くて仕方なくて、わたしと別れるために女の子を引き連れているとか。
わたしとの付き合いは彼女が欲しいからという理由だけで、本当はわたしのことなんか好きじゃない、とか。




その頃のわたしの病み方は、周りから見ても尋常ではなかったようで
友達からも心配され、彼の先輩方にも心配され、先生からも親からも心配されました。
もちろん、彼もわたしの変化に気づいたようで心配してくれていました。
ですが、本当にわたしは病んでいたのです。
人のせいにはしたくありませんが、彼のせいで、わたしの心は荒んでいたのです。
だから、彼が心からわたしを心配していたのだとしても、わたしは彼を信じることが出来ず、
彼に頼る事を良しとしなかったのです。










心神耗弱状態のわたしに、さらに追い討ちをかける事態が発生しました。









その日は珍しく彼の部活の無い日でした。
さらに珍しいことに、わたしは先生に呼び出されていました。
この日は彼がわたしを待っていてくれたのです。





「遅くなるようだったら帰ってもらっていいよ」と言ったわたしに対し、彼は






「いつも待っててくれてんだから。俺がここで待ってなきゃ彼氏失格でしょ」








と言ってくれたのです。

その言葉にわたしは、なんということでしょう。
ずっと悶々としていた気持ちが少しずつ晴れて行ったのです。
さり気ない一言でしたが、彼を信じる事の出来なかったわたしには十分すぎるほどで、
彼の口から「彼氏」という言葉なんて聞いたことがなくて。
本当に単純だと自分でも思います。しかし、そのたった一言がわたしは嬉しかったんです。
もしかしたら、ひょっとしたら彼はわたしのことを思ってくれているのではないのだろうか。
まだ、彼を繋ぎとめられるんじゃないんだろうか。
希望があるのではないのだろうか。




真っ黒だったわたしの心に、期待感という明るい火が灯されました。
一刻も早く用事を片付けて、彼と一緒に帰りたいと思いました。
「ごめんね。待っててくれる?」とさっきよりも明るい気持ちになったわたしが、笑って言うと、
彼は大きな目を一瞬まん丸にさせて「おう」と入学式でわたしが見たような満面の笑みを見せてくれました。
そう。この笑顔にわたしは惹かれたのです。
彼への疑心はまだ残っているけれど、彼のこの笑顔をまだ独り占めしていたいのです。
もう少しだけ、彼を信じてみたくなったのです。




でも、やっぱりわたしは彼を信じることができませんでした。




先生の用事が長くて、1時間ほどかかってしまいました。
日は沈みかけで、影の黒と光の橙のコントラストが本当に綺麗な夕暮れです。
わたしは心の中で先生に悪態を吐きながら、彼のいる教室へと急いで、いえ。
走って向かいました。
一刻も早く彼の顔を見たい。
彼と一緒に帰りたい。
一緒に帰れるだけでいいから。
早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く








早く!!








逸る気持ちが顔にも、態度にも出てしまって、彼の教室を思わず通り過ぎそうになりました。
急いで方向転換をしたので、少し転んでしまいそうになりましたが、そんなことよりも早く彼に会いたかったのです。
扉の前に立ち、息を整えて、走ってボサボサになった髪も整えて、深呼吸。
まだまだ息は荒かったけど、それでもいい。そんなことより彼に今すぐ会いたい。
きっと彼のことだから、待ちくたびれて寝ていることでしょう。
暇を持て余すと、彼はすぐ寝てしまう人です。
これは自他共に認める事実。
そして、彼の寝顔はとても可愛いのです。
普段、テニスをしている時はとても格好いいのですが、テニスから離れると男の子っぽさが前面に出て、
特に寝ている時は本当に、不謹慎ですが愛らしいのです。




こんなに待たせてしまって申し訳なさが半分、彼の寝顔を拝める嬉しさが半分。
教室に入って彼が寝ていたら、ちょっとだけちょっかいを出してみよう。
ほっぺをつついたり、髪の毛触ったり。
普段、積極的になれないわたしのささやかなスキンシップ。
女の子たちほどじゃないけど、「彼女」なんだからこのくらいしてもいいよね?




その前に教室に入ったら、まず謝らなきゃ。
これだけ待たせてるんだし。
それからこう言うんだ。





「待たせてごめんね。一緒に帰ろう」






「一緒に帰ろう」なんて言ったことがありません。
いつも、彼が「じゃ、帰るか」と言ってくれるので言う必要がなかったのです。
でも今日はわたしが言う番です。
普段なれないことをすると緊張します。
緊張するけど、いつも彼が言ってくれたことを言うだけ。
大丈夫。落ち着いて。






わたしは扉を開けました。





「ごめんね。切原くん。一緒に」






帰ろう。










残念ながら最後まで言う事は出来ませんでした。
私の目に思いがけない情景が飛びこんで来たから飛び込んできたからです。










本当にびっくりしてしまい、思わず自分の鞄を床にどさっと落としてしまい、その場に立ち竦んでしまいました。
目の前に広がる光景が、何が何だかわからなくて、頭の中がぐちゃぐちゃで。
これは夢なんだ。悪い夢だと思いたいくらい、わたしにとっては最悪のの出来事だったのです。














彼は。
彼、切原くんは寝てなんかいなかった。
彼は。
彼、切原くんは起きていた。






そして、切原くんはわたしの存在を無視するかのように。
彼が以前腕を組んで歩いていた女の子と






キスをしていました。






わたしという存在が今、この場にいないかのように、彼らはキスをしていました。
部活をしている子たちの掛け声が遠く近く、彼らがキスをする度に出る水音がはっきりと
わたしの耳に嫌でも入ってきます。





テレビドラマで見るような。
唇をついばむような、優しく甘い。恋人同士のキスでした。




どうして。
どうして?

どうして別の女の子とキスしてるの?




わたしはキスなんてしたことがありません。
彼氏がいるのに、彼氏とキスをしたことがありません。




夕暮れの橙は少しづつ、ゆっくりと、夜の闇に飲み込まれ、人影も闇に引き込まれそう。
それと同じように、1時間前に灯されたわたしの心の灯火は、またしても消されてしまい
わたしの心は再び闇に引き戻されてしまいました。
灯してくれた人も消した人も同じ人なのが皮肉としか言いようがありません。




人を期待させておいて、こんな仕打ちあんまりだ。
わたしはこんなにたくさん、我慢しているのに。
切原くんが女の子に囲まれてるときも文句1つ言わなかった。
腕を組んでるときも何も言わなかった。
全部、切原くんのためだと思って。
束縛を嫌う切原くんのためだと思ったのに。
わたしがこんなに切原くんのことを思ってるのに、わたしのことなんて何一つ考えてくれやしなかったんだ。
いつも一緒に帰ってくれるのも、メールをくれるのも、笑いかけてくれるのも。
全部全部全部!






わたしの一方的な愛への義務としか考えていなかったんだ。







わたしがあなたのことを、こんなにも考えているのに
それでも、あなたはわたしを裏切るんだ。










「ひどい」




ぽつりとわたしが呟いた言葉は、静まり返った教室に響き渡り
切原くんがハッとしたようにわたしを見ました。




それと同時に女の子もわたしを見ました。
この間はわたしを見て嘲笑してきたくせに。
とても気まずそうにわたしを見て、何か言いたそうにして。




女の子は本当に綺麗で。お人形さんみたいで。
わたしなんかとは月とスッポンで。
切原くんがわたしなんかより、その子を選ぶ気持ちがよくわかります。






、オレ」






それでも




例えその女の子が可愛くても、性格が良いんだとしても




やっぱり、わたしを愛して欲しかった。
告白を受けてくれたのだったら、わたしに愛を与えて欲しかった。
最初から好きじゃないんだったら、突き放して欲しかった。
余計な期待を持たせて欲しくなかった。




ねぇ、切原くん知ってる?



わたしは、もう病気なの。
わたしは、もう限界なの。

わたしは、もうイヤなの。





わたしはこれ以上、惨めな気分になりたくない。
こんなドロドロした気持ちを心の中に留めておく余地がもうない。






「切原くんはきたないし、ずるい。最低で残酷だよ」







今のわたしに出来るのは彼を罵る事だけ。
彼を罵ることでしか、わたしは自分のずたずたにされたけれども、かろうじて残っていたプライドを保持できなかったのです。
彼を罵倒することが、彼に罪の意識を植え付ける有効な方法。
唯一、切原くんと彼女を打ち負かすことの出来る手段。




でも、どんどん自分が惨めになっていく。
吐き捨てるようにこんなセリフを言うわたしは、さながら昼ドラの悪女のようです。




こんなセリフ吐いたところで、どうせ端からわたしは負かされていたのです。
彼らが、わたしという「愚かな人間」を哀れむかのように見るのでわかります。
最初から彼はわたしのことなんか好きじゃなかった。この女の子が好きだったんです。
それなのに。わたしの告白を受けて、わたし一人だけが舞い上がって辛い思いをして。
所詮、わたしは彼らの手のひらの上でもがいていただけなのです。


自分は、自分だけはハッピーエンドを迎えようとするなんて。
本当に切原くんは残酷。
切原くんが憎い。





そんな事を思っても、わたしが与えたれこれ以上とない屈辱感と喪失感は払拭されません。
散々けなした後、なぜかわたしは絶望感にに打ちひしがれていました。






もはや、わたしの言葉なんて負け犬の遠吠えにすぎなかったのです。







それでも、わたしをしてほしかった。





憎しみしかぶつけられない自分が一番最低。