喘ぐ男叫ぶ女







わたしにとって整骨院は武道館、整復師と患者はプロレスラー、施術ベッドはリングと同義で。






今日もコブラツイストよろしく「身体にいい」間接技を決められて。わたしはギブアップするために、何度も激しく右手のひらをベッドの上に打ちつける。時には「あたたたたたた!あたーっ!」と「お前はもう死んでいる」と宣告されているのは明らかにわたしなのに、なぜか北斗神拳の使い手のセリフを口走りながら必死に、ケンシロウが押してくるツボの痛みから逃れるために手足をバタバタとばたつかせる。







ベッドで運動するなんて、エッチをする時だけだ、と思っていたけれど、整体も立派な運動、格闘技だ。と、わたしは思う。つまりはそのくらい、わたしの身体はボッロボロのガッタガタというわけなんだけれども。





毎回、整復師の先生に言われるのは「さん、叫ぶんやったらもうちょい可愛く叫んでぇや」という呆れたようなセリフ。









…そんなもん出来るんやったら、とうの昔にしとるわい!と言うより、自分の身体から「きゃあ」とかそんな女の子女の子した声が出てきたら正直引く。鳥肌が立つ。仮に出てきたとしても、発してしまったことに対して自己嫌悪に陥るだろう。こんなのはわたしじゃない、こんな声はわたしのじゃない、という具合に。それはもう正気に戻れ、と柱に頭をガンガンぶつけながらけたたましく。そういう飾り気のない女なのだ、わたしは。

男のように、叫ぶ時は「うぉっ」「ぎゃー」と声を出す方がわたしはしっくり来るのだ。いいじゃないか、男みたいな叫び声だって。それも個性なのだから。誰しもが、そんなに女の子らしかったら、似たり寄ったりな女の子しか存在しなくなる。個性が無いぞ。そんな面白味もくそもない世界、わたしは嫌だ。

逆にわたしから聞こう。だったら男性も男性らしくあるべきなのではないのか、と。女性のような声を上げる男性だっているじゃないか。わたしを否定することは、その道でお仕事をされている方や自らの性について悩んでいらっしゃる方々を敵に回しているのと同じだぞ。無闇やたらに、滅多なことを言うもんじゃないぞ先生よ。あなたのさり気ない一言が地雷となりますよ。







と、まぁここまでは前振りにしか過ぎない。男女それぞれの性の在り方について論じるつもりはない。わたしが今、一番問いたいのは猥褻物陳列罪はどの範囲まで適用されるか、だ。痴漢は犯罪、覗きは犯罪、露出も犯罪。これらは触覚、視覚と被害者の五感を介して、精神的苦痛を与える犯罪である。これらの犯罪を体験すると、いわゆるトラウマというものが深層心理の根底に植え付けられることが多い。要は質の悪い犯罪なのだ。





だったら、これはどうなんだろう。
今、わたしは整骨院に居る。いつものようにリングでのファイトを終え、仕上げに患部のコリをほぐすために電気、つまりはバイブレーションの一種をリングの上にうつ伏せになり、充ててもらっている。その電気をあてるための機械はゴム製の吸盤となっており、まるでスポイトの上部についているゴムのようだ。吸盤のようなその機械をわたしの肩につけた後、整復師の先生は施術が今しがた終了したわたしから離れ、隣の患者さんの施術、マッサージに取りかかっているのだが。










「あっ…ん…ぁあ…」









…先ほどからこんな調子で隣のファイターはやたらと艶やかな声を発しているではありませんか。しかも、ファイターの声は女性のように甲高く細い声ではなく。低く野太い声なのだ。
つまりは、めっちゃめちゃ男の声。男がなまめかしく妖艶な、声を出しながら隣のリングで呻いているのだ。
整骨院に通いだして早半年、週1、2回とそこそこ通っているわたしだが、こんな体験は初めてだ。男性でも女性でも、こんな感じで色のある声をあげてマッサージに耐えている人に遭遇するなんて驚きだ。ついでに、沸々とある好奇心が沸いてくる。








どんな顔してんねんやろ。








うつ伏せになり、顔を枕に埋めているため今の段階では相手の顔がわからないのだ。声しか聞こえないから、その色ある声に若干の不快感はあるものの、ここまで堂々と、大胆に声出しといて相当ぶっさいくな顔しとんのやったら笑えるわー、という一種の期待感がわたしの心をいっぱいにした。わくわくとした心の高揚感を胸のうちだけに秘め、けして表に出さないようにゆっくりと。それでいて自然に見えるよう、わたしは声のする隣のベッドの様子を伺うため顔をその方向へ向けた。







と。








おら、びっくりしたってもんじゃねぇだ。開いた口が塞がらねぇ、眼ん玉ひんむいてんじゃねぇかってくらい瞼見開いてるよ、全くもう。
その実にセックシーな声の主は、わたしの想像と期待を大きく裏切ってくれた。いい意味でなのか悪い意味でなのか、わたしには判別ができない。ただ、言うとするならば「反応に困る」。これが超絶に不細工な人間なら「ちょっと聞いてー昨日整骨院行ったらさー隣でマッサージしてもらってた男の人がさぁーめーっちゃくちゃエロい声で喘いでてんやんかーしかもそいつめっちゃ不細工やからこれがまた笑えんねんかー」と笑い話として明日、職場に提供できるのだけれど、これは洒落にならない。そして犯罪的だ。や、彼の存在そのものが犯罪だ。




なぜかと言うと、その彼は、非常に艶のある声で鳴いている彼は、見目も麗しい男子であったからだ。男性ではない、男子なのだ。地元で笑いを教育に取り入れているという変てこ…いや、個性的で「ある意味」有名な四天宝寺の制服を身に付けている中学生男子なのだ。
しかもこの美男子、ばっちりわたしの方に顔を向けてうつ伏せになって寝ている。その顔はスッと通った鼻筋が印象的だ。
眼をギュッ閉じて、眉をぐっと寄せて、熱っぽく息を吐く半開きの口はしっとりと濡れていて。時折軽く瞳にはうっすらと涙が滲んでおり、口からはエロティック、いやむしろ卑猥な喘ぎが紡がれる。
眼の前でアダルト・ビデオの撮影でも始まったのだろうか。と錯覚してしまいそうな雰囲気を作り出すティーンエイジャーに、20も半ばに差し掛かった彼氏いない歴約2年のわたしは思った。











なんか…負けた…。











男の子なのに、男の子なのに、なぜこんなにもエロいんだ!ありえん!喘ぐな!エロい!目尻に涙を溜めるな!エロい!
女のわたしより、年下のわたしより、色気があるなんて信じられない。色恋沙汰もなぁなぁにしか知らない中学生に負けるなんて、信じたくない。フェロモンか?この子はフェロモン分泌量が人より多いのか?それとも何も知らないが故のエロさなのか?



いや、そんなことはどうでもいい。むしろ、この子がエロすぎて何か悪いことをしているような気がするのはわたしの気のせいだろうか。無性にこの子がちゃんと無事に家に帰れるか心配になって来た。変なおっさんに絡まれたりしないだろうか。変なおねいさんに絡まれたりしないかしら。すでにここに「変なおねいさん」が、あなたのエロさに当てられてしまっているから心配でたまりません。








「エロいやろ?白石くん」







あまりに彼を凝視しているためか、先生に声をかけられてしまった。途端にハッと我に返らされたわたしは、「違います!けしてショタコンでは…」と訳のわからない言い訳をしだした。だって言えない。中学生の男の子にムラッと来たなんて絶対に言えない。
けれど、先生はわたしの考えていたことなんてお見通し、とでも言うかのように「淫行はあかんでぇ、さん」と施術の終わったわたしの身体から吸盤を外しつつ、ニヤリと笑って窘められてしまった。



「淫行っていうか援交でしょ」と苦笑しながらベッドからわたしは身を起こす。幾分かすっきりとした身体の感触を味わいながら、首を回し腰を捻る。さきほどまでの重さは軽減され、大分と軽やかに、楽になった。最後に大きく伸びをして
ベッドから下りようとすると、








「おねーさんっ…」








さっきの喘ぎ声が、わたしの名前を紡いだ。喘ぎ声の主、白石くんという男の子がわたしを呼んだのだ。白石くんの方を見ると、彼は先ほどまでの苦悶の表情とは打って変わり、閉じていた眼は涙で潤んではいるけれど、しっかりとわたしを捕らえ、だらしなく開いていた口は口角がぐっと上がり、まるでわたしを挑発するかのように見ていた。



「な、何?」と思ったより上擦った声が出てしまった。心臓がバクバクと警鐘を鳴らす。これ以上、彼に関わると確実に危ない道を渡る可能性がある、と脳からの指令が身体の各所に届いている。
まさか、わたしが中学生の色気に当てられている、とでも言うのか。いやいや、有り得ない。いやいや、駄目だろう。犯罪だろう。
て、わたしは彼と一体どうなるつもりなんだ。考えるな、エロいことを。こいつの眼を見るな。こいつの眼に、欲望に飲み込まれるな。



眼を合わせてから、外してくれそうにもない白石くんから、強引に眼を反らし「おねーさん、急いでるから、ゴメンね」と矢継ぎ早に言い放ち、ベッドの下にあるカゴの中から自身のカバンを拾い上げ、逃げるようにしてベッドを後にした。受付でお金を払っている間も、白石くんによって発令された警鐘が止まらない。きっと、この整骨院から離れないことにはずっと鳴りっぱなしなのだ、きっと。



お会計を済ませ、カバンの中に財布を入れて、急いで帰ろうとすると








「ほな、またな。さん」








喘いでいなくても、なんて艶のある声なんだろう。後ろから聞こえて来た声に振り返ると、案の定白石くんだった。施術を終えた白石くんが帰り際のわたしに、ニコニコ笑って手を振っている。なんで、わたしの名前を知っているのか、なんてこの際どうでもいい。余裕綽々な中学生と、テンパっているOL、この敗北感と屈辱感から一刻も早く眼を背けるため、またこれ以上彼の未熟な色香に惑わされないよう。わたしは一目散に接骨院を後にした。








「あともうちょっとで落とせる…かな?」








彼がそんなことを呟いているなんて知る由もなく。













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