7日後からの正規雇用






8日目。




昨日、あれからわたしと幸村くんは正式にお付き合いをすることとなったのですが、やはり言い方が悪かったのでしょうか、幸村くんは案の定、「ちょっと!そこはちゃんと好きって言ってよ!」と憤慨されました。(気分は悪くするだろうな、とは思いましたが)
けれど、「すいません。これ以上は勘弁して下さい」と頭を下げたらあっさりと「仕方ないなぁ。今日の所は許してあげる」とあっさり引き下がってくれました。しかも百万ドルの夜景も霞んでしまいそうなキラキラとした笑顔つきで。満面の笑みとはこのことを言うのでしょう。さすがは幸村くん。この世の美の集大成とでも申しましょうか。そんな笑顔を向けられるとひとたまりもありません。今ので完全に心を奪われてしまいましたよ、わたしは。




ところがどうでしょう。わたしは幸村くんがサディストであることを完全に失念していたのです。愛くるしくも優しい天使の微笑みを称えたまま、とんでもなくサディスティックなことをやってのける人であることを忘れていたのです。





幸村くんはお人形さんのような笑顔を貼り付けたまま、おもむろにテーブルの上に置いておいたわたしの左腕を掴み、ぐいっと力強く向かいに座っている幸村くん自身の方へ引っ張りました。当然、わたしは幸村くんのどこからそんな力が出てくるの?と言いたくなるくらいの馬鹿力に抗えず(本当、腕がすっぽ抜けるかと思いました)幸村くんの方へと身体全体がテーブルの上に倒れ込むように、引き寄せられます。テーブルの上に乗っている飲みかけのお茶が入った2つのコップが、引っ張られて無理にわたしが動かされたために衝撃で倒れてしまいました。コップから溢れ出た琥珀色の液体が白いテーブルによく映えます。キラキラと日の光を受けて、目映く瞬いているのです。されどお茶、腐ってもお茶。たかが麦茶なのに、天の川の星屑のようにこんなにも光り輝くのです。

だからでしょうか、それに感動したからでしょうか。目の前がチカチカとしているかのように感じ、身体がもうこれでもか!と思うくらい熱く感じるのは。天の川がいつまでもいちゃこらしてる織姫と彦星を七夕以外は引き離すことにしたのはきっと、恥ずかしがり屋のわたしに恋愛耐性を身につけさせようとしたからなのですね。彼らの364日分のラブ・ライフをわたしと幸村くんに与えて、成熟したカップルにさせるおつもりなのですね。だから今。こうして幸村くんはわたしの腕を引っ張って、彼の胸に引き寄せて。




むちゅっと、おでこっていうか髪の生え際に生暖かい湿っぽいやらかぁい感触。を。




与えているのですね。頭?おでこ?に感じる感触は、えぇ間違いなく幸村くんの唇。桜色の唇。優しい言葉、エッチなお話、子供っぽい気持ちを紡ぐ唇。






「これから、よろしくね」





わざとらしく、ちゅっと音を起てて生え際から唇を放した幸村くんは、わたしの耳元にそっと唇を寄せて。まるで吐息を出すかのように。囁かれたのです。




2日目の時に吐息を耳に吹きかけられた時の非ではありません。ぞくぞくっと背筋が何かを駆け巡るなんてレベルではありません。耳から送り込まれた言葉によって全身の骨という骨が溶けてタコやイカのような軟体動物にされてしまったようです。骨格を失ったわたしはフッと力が抜けて、思わず幸村くんの方へと倒れ込んでしまいました。もう何も考えられないのです。わたしの頭の中は幸村くんの唇の感触と幸村くんの甘い囁きでパンパンになって、何も知覚しなくなったのです。







そして今日。8日目の朝なのですが。

今も幸村くんと一緒に登校です。昨日のことを意識しているからなのでしょうか、正式に彼氏彼女の関係となった今の方が以前よりも恥ずかしく感じ、一歩後ろに下がって幸村くんについて行きます。もう幸村くんを追い抜かし、走ってさっさと学校に行きたい気分です。あぁ、でもそんなことしたら別れる原因となるのでできませんが。第一、わたしの足では運動部の幸村くんを撒けそうにありません。
これからわたしと幸村くんは昨日、以上のことをします。おでこにチュー然り、ほっぺにチュー然り、もちろん…きっききききききキスっ(言うの恥ずかC!)だって十分有り得るのです。ひょっとしたらひょっとして、その先だって有り得るのです。

だから、こんなことで緊張してしまうのもどうかとは思うのですが。あぁ、でもやっぱり相手は幸村くん。王子様の幸村くん。神の子、幸村くん。本当にわたしなんかを好いてくれているのだろうか、昨日確認を取れたはずなのにやっぱりどうしても自信が持てなくて。近い将来、ポイってされてしまったらやっぱり不安で。って、考えても仕方がないのですが。いい加減、自分でもしつこいなぁ、と思います。恋愛に対しての自信の無さが丸見えですね。






さん」

「はっ…ハイ!」






考え事をしていたせいか、やたらと大きな声で返事をしてしまいました。幸村くんは、くるりと後ろ3メートルを歩くわたしの方を振り向くと。地面を踏みしめるかのように歩きだし、わたしの前に立ちました。ぼーっと歩いているわたしを見かねたのか、もしくは歩くのが遅いと思われたのか何なのか。わざわざ、戻って来てくれたのです。





「あ…すいません…」




歩くのが遅くて、と続ける前に、幸村くんはわたしの手を、本当に一瞬の間にわたしの手を取ったのです。
いつぞやのデートと同じように、ただ手を繋ぐのではなく、互いの指と指を絡ませて。とっさのことに慌てるわたしに幸村くんは。緊張と興奮が入り交じっているわたしとは裏腹に、ふんわりと優しく微笑む幸村くんは。






「これからは敬語、禁止ね」

あと、すぐ謝るのも。






と。




あぁ、ダメだ。やっぱり心臓が持ちません。お付き合いをこれから進めて行くというのにわたし、こんなんでいいんでしょうか?果たしてこんなので本当にやってなんて行けるのでしょうか?しかも、敬語も禁止されるなんて敬語キャラのわたしにはつらすぎます。「ごめんなさい」という言葉を腰の低いキャラであるわたしから取り上げるのも酷なことじゃぁ、ありやしませんか?






でも。







「ぜ…善拠…してみま………する」

「うわぁ。さんのタメ語って新鮮だな」







このまま幸村くんの色に染めて行かれるのも悪くないかなぁ?と思っている自分が居たりします。幸村くんと一緒にこれから楽しいこともつらいことも経験して成長していけるんだったら、このくらいの試練を乗り越えないといけないのかもしれません。幸村くんの気持ちがいつまでもわたしにはないかもしれません。だったら、ずっとわたしに気を向けていただけるよう努力しないと。幸村くんの要望に応えていけるように自分を変えて行かないと。






繋いで貰っている手を見て。そう思うのです。
この手をずっと繋いでいてもらえるように。






「今度はさんの方から繋いでもらえると嬉しいんだけど」

「!!!!?」






でも、当面の間は今の状況に慣れることで無理でしょうが。










お し ま い