4日目






「よく考えたらデートってしたことないよねぇ」という幸村くんの一言によって強制的にわたし、は幸村くんと放課後デートをすることに相成りました。部長さんなのに幸村くん、部活は出なくていいんですかね。ただでさえ、わたしと一緒に登校しているがために、朝練も出ていらっしゃらないですし、その上放課後の練習も出席されないなんて…大丈夫なんですか?そうすぐに下手っぴになることはないと思いますが、練習しないと実力者と言えど力は衰えて行くばっかりだと思うのですが。はい。やはり全国区のテニス部を引っ張って行かれる部長さんなので、わたしに時間を割くことによって、部活動に支障を来してほしくないのです。
と、素直に申し上げると。






無言で。男の力で思いきり中指でデコピンされました。







デコピンを食らった直後、間違いなくわたしのおデコから煙がもくもくとジャムおじさんのパン工場のように出てきたに違いありません。かと言って、わたしの体内でアンパンマンの顔は作られていませんが。だってわたしは愛と勇気だけが友達というさもしい人間ではありませんし、愛と勇気が有り余る慈善家のような人間ではないからです。まぁ、わたしがアンパンマンみたいな人間かそうでないかなんて関係ありませんが。



そして、声にならない声でおデコを押さえてうずくまり悶絶しているわたしに、幸村くんはほっぺを膨らませて口を尖らせ、こうおっしゃったのです。








「俺が行きたいから行くのッ!」








相変わらず怒り方が女の子のように可愛らしいにも関わらず、なぜでしょう。幸村くんの後ろに剛田剛氏の陰が何故かちらくのは。

こうして、せっかく気を遣ってみたのですが幸村くんのこの一言でわたしたちはデートへ行くことになったのです。





さんどこ行きたい?」とうきうきしながら街を歩く幸村くんと異なり、「お好きな所で結構です…」と引き気味のわたし。この前も思ったのですがテンションが完全正反対ですよね。ふつう女の子がきゃっきゃきゃっきゃはしゃぐんですよね。そんな女の子を微笑ましく思いながら、後ろに一歩下がって見守るように歩くんですよね、男の子が。けれど今、眼前に見えるのはるんるんと前を歩く幸村くんと、そんな幸村くんのテンションに若干押され気味の後から歩くわたし。




性別逆転も甚だしい。








「好きなとこって……もーさんッ!」







プンプン!という言葉がぴったり来るのでしょうか。(ふつうはぴったり来たらおかしいのかもしれません)先を歩く幸村くんは「好きな所で」という男のようなわたしの答えに不満を覚えられたようです。(だって本気でどこでもいいんですもん)幸村くんは再びほっぺを膨らませてつかつかつか、とわたしの方へと戻って来られ、ぐっと。わたしの手のひらを彼のそれに絡ませました。いわゆる所の「恋人繋ぎ」というものです。わたしの指が幸村くんの指によって一本一本絡み取られています。まるで、幸村くんの手は蜘蛛です。蜘蛛がわたしの手のひらという獲物を離さないように、しっかり足で抱える。指が長くて節くれだっている分、より一層そのようなイメージを彷彿させます。

そう言えば、幸村くんの手を握るのはお付き合いを決めた当日以来です。その時は幸村くんの手よりも幸村くんの存在を意識しすぎていたので、何が起こったのか理解出来ずに事が過ぎて行きました。が、幸村くんに対して免疫が出来ている今。幸村くんの手のひら・指・温もり一つ一つがわたしの手のひらを介して脳に情報を送り込んでいます。たとえば、幸村くんの指ってけっこうゴツゴツしてるなぁ、とか、色は白いのに思いの他あったかいなぁ、とか、女の子みたいなのに手はわたしのそれよりすごく大きくて逞しいな、とか。
それらの情報が送られるたびに、わたしの脳みそはそれを興奮や焦燥という混乱を招く感情として消化します。混乱の感情は、何か別のものに還元されるわけでもなく、ただただ身体の中を駆け巡るだけ。そのくせ、情報はどんどん送られるので興奮や戸惑いもどんどん精製されます。ついには、混乱の感情によってキャパ越えしてしまい、身体中がパンパンになり、わたしの身体は混乱一色になってしまいました。結果、事態を重く見たわたしの身体はイマージエンシーを起こし、一切の活動を停止してしまいました。






つまりは思考停止状態です。





「行くよ!」






そんなわたしを余所に、幸村くんはぐいっとわたしの腕を引っ張りました。いきなり身体を動かされたことによって、思考も身体も停止状態から活動をし始めます。よたよたと、足はおぼつかないながらも前へと踏みだし、情報も徐々に尽きて脳が事態を克服しようと懸命に対抗策を練ります。思考も徐々に環境に順応して行き落ち着きを取り戻しています。

けれど、全く思考を無視して勝手な行動を取る問題児が一人。







感情です。







さっきまでは「混乱」でかちんこちんに身体を思考を固めてたくせに、今は全く違います。ちゃんと幸村くんに合わせて歩幅を取って歩けていますし、幸村くんのお話もちゃんと頭の中に入って来ます。いえ、話なんて聞いていて聞いていないようなものです。むしろ、スルーです。それよりももっと。違うことがしたい。理屈で説明できないような何かがおなかの底を渦巻いています。お腹が空く感覚に似ていますが少し違う。別にお腹は空いていませんし、喉も乾いていません。けれど、何かが足りないのです。何かが何なのかはわかりません。ただ、その何かを埋めようと感情が先走っているのです。「早く早く」と何かを待ち望み、わたしを焦らせます。




ちらりと幸村くんを見ます。幸村くんに手を取られた後から、このような感情が生まれたので幸村くんに何かヒントが隠されているのではないのだろうか。そう思うのです。
間近で幸村くんを見るのは初めてであることに気づきました。また、並んで歩いているため横顔しか見えないのですか、幸村くんの横顔をじっくり見るのも初めてな気がします。
いつも並んで歩いて登校しているくせに。今までいかに幸村くんを見ていなかったか、幸村くんと向き合っていなかったかを思い知らされます。
この3日で幸村くんの知らない一面を知ることは出来ましたが、幸村くんについて考えることはなかったです。今、思うとこれが一番お付き合いする上で重要なのではないでしょうか。いくら中身を知ったとしても、結局その上でどうするかも考えなくてはいけないのですから。




改めて見ても、本当にキレイだな、と思います。肌はスベスベしてて白雪姫のように透き通っていることでしょう。すっと伸びた鼻筋は品が良く、唇は男の人独特の薄い唇。眼はくっきりと二重でくりっとした瞳と長くてふさふさな睫がすごく印象的です。髪型がふわふわとしたウェーブであることから、教科書でよく見るルネサンス期の絵画を彷彿させます。
そして…視線を下に下ろすと、喉にぽこん、と大きな出っ張り。喉仏です。幸村くんの声ははっきりと申し上げて低くはありません。穏やかで優しくて、例えるなら寄せては打ち返す波です。あたたかくて包み込まれるような。そんな感じです。そんなキレイな顔で、そんなキレイな声で、可愛い仕草をしたり、怒ったりしていたので。男の人と意識したことがなかったのかもしれません。でも今、眼の前にいるのは男の人。時たま、わたしの繋がれている方の腕に触れる幸村くんの腕は、けして細くはなく、筋骨隆々とまでは行きませんが逞しくて立派なもの。時たまわたしの頭にあたる肩もがっしりと硬く、女性の柔らかいそれとは全く違います。






幸村くんは男の人。






そのことは承知していたはずなのに。昨日だって、わたしのパンツ見たかった、とか言われて男の子だから仕方ないかって思ったところじゃないですか。一昨日だって、下着でうろちょろするなって注意された所じゃない。女の子なんだからって。





女の子、だからって。







それって、幸村くんはわたしを女の子としてちゃんと見ているって事だよね?わたしの着替えを注意したのも、男の人である幸村くんの前で堂々と下着であることをさらけ出したからで、わたしの下着を見たかったって言うのも、わたしを女性として、好きな女の子として意識してるからで、お菓子をあげた時も、幸村くんはすごく大事そうに紙袋を抱えてたし…。





幸村くんは、本当にわたしのことが…好き、なんだ。






………。
な、なんだ?なんだ、なんだ?
急に自覚をし出すと、さらにこう…何か物足らなくなって来ました。乾きが飢えが酷くなり、焦りがもう…リレーで例えるなら、テイクオーバーゾーンを越えてでもバトンを待ちたい、早くバトン来い!とイライラしだすくらいの感情。
よくわからないけれど、何か足りない。もっと、ちょうだい。もっともっと欲しい。幸村くん、わたしを







わたしをもっと、好きになって。


























「……うそっ…!」

「どうかした?」







思わず口をついて出てしまいました。思いの他、大きな声だったようで幸村くんは、足を止めてわたしを見おろします。びっくりしたように、眼をまん丸にさせて。





「えっ…えっ、と」






何でもありません、と幸村くんの顔を見ずに。俯いて答えたのは感じが悪かったかもしれません。でも、そうせずにはいられないのです。今のわたしは幸村くんの顔なんて直視できないのですから。
緊張とかそんなんじゃなくって、恥ずかしいのでも何でもなくって。







「どっか入ろっか」






ね?と幸村くんはいつものように、首を傾げてわたしに聞いてきます。きっとわたしの様子がおかしいと気がつかれたのでしょう。幸村くんは自分の我を押し通す時は意見を伺わずに、実践することは今までの経験で立証済み。わたしを気遣ってのことだと思うのです。

けれど。








「………嫌です」







なんてことを言っているのでしょう。幸村くんがせっかく気を遣って。わたしのために言ってくれてるのに。
今からでも遅くないから訂正しなさい。それから、お礼の言葉も!「ありがとうございます、おかまいなく」って言いなさい!
言え!!!






「…このまま。ちょっとだけ……いっしょ、に歩いてもいいですか?」






わたしの「わたし」への必死の説得も甲斐なく、「わたし」はわたしを裏切ります。どうして言うことを利かないの?幸村くんに迷惑をかけて、どうしようって言うの?わたし。
けれども、どこかスッとしているのです。胸のつかえが取れたというか。まだ満ち足りていないことは確かなのですが、どこか充足感があるのです。頭の中とは裏腹なことを言ったにも関わらず。もやもやとしたものが取れたと言うか。







「わかった。歩こっか」






俯いたままの頭の上から、幸村くんの優しい声が聞こえました。聞き間違いではないと思います。どこか明るく、弾んだ声で。わたしのわがままを受け入れて下さったのです。




次の瞬間、少しだけ幸村くんの繋いでいる手の力が強くなりました。
たったそれだけなのに、物足りなかった何かが少しずつ埋まって行き、焦りも徐々に薄れて行きます。気分の高ぶりが落ち着いて行っているのが自分でもわかります。
ゆっくりと顔をあげると、幸村くんがわたしを見て、また笑いかけてくれました。たったそれだけなのに、また。普段から笑顔を貰っているのに、また。お腹の辺りが満たされます。






わたしをもっと、好きになって。






まさか自分がこんなことを考えるなんて。こんなこと思うなんて普通じゃないですよね。今までのわたしでは考えられなかったことです。物足りない気がしたのは、わたしが幸村くんのことを何一つ知らなかったから。幸村くんの愛をもっと欲していたかったから。焦りは幸村くんをもっと知りたいと思ったから。幸村くんの愛ですぐわたしを満たして欲しかったから。きっと、わたしは。








幸村くんが好きになった、のだと思います。