2日目











昨日の朝、あれから幸村くんと一緒に学校へ行きましたが、完全に遅刻でした。どうやら幸村くん、入院されていた時以外は皆勤賞だったらしく、普段は堂々と胸を張り、しゃんとされている背筋は、弓のようにふにゃんとしなり、肩はしょぼんと落とされ、落ち込まれていました。マイペース過ぎるわたしのせいで、むしろわたしが幸村くんを巻き込む形で遅刻してしまったので、本当に幸村くんに対して申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。昨日、言葉ではたくさんその気持ちを示しましたが、態度では一向に示していません。それよりむしろ、反省すらしていませんよね、わたし。



と、いうことで2日目の今日。待ち合わせの15分前に駅に着いたわたしの手には、可愛くラッピングした(つもり)の紙袋。そうです。お詫びの気持ちを形にしてみました。中身は手作りお菓子です。本当はタオルとかリストバンドとか買いたかったのですが、人に何かを買ってあげられるほど、わたしはお金を持っていないことに気づきました。ですので、安くあげられるものと言えば手作り、家にあるものを寄せ集めればタダ同然です。何かセコい考え方ですけどね。や、気持ちが詰まってるからいいんですよ。たぶん。



ちらりと、ポケットから取り出した携帯のディスプレイに移る数字を見れば、7、5、4の順に並ぶ数字。そわそわしながら待っているうちに、10分ほど経過したようです。人を待つってなかなか緊張する行為です。待ち合わせはここでよかったか、時間はちゃんと合っているのか。果たして幸村くんは来ていただけるのか。言い知れない不安で胸が圧迫されます。普段から人を待たせてばかりのわたしでこう感じるのだから、幸村くんだって昨日、同じように思われていたことでしょう。いざ、自分が当事者という立場に立って考えてみると、本当。申し訳ないことをしてしまった、と改めて謝罪の念が沸き起こります。





ふぅっと胸の中につかえる不安と緊張を吐き出すかのようにため息をつくと、






ふぅっ。





左の耳元に生温い感覚。生暖かい風が耳と、耳の穴と、首筋あたりを直撃します。先ほどまで感じていた冷たい北風とはうって変わる、その温度差を感じ知覚すればぞくぞくと腰の辺りから首筋にかけて、ぞぞぞぞっと芋虫が一気に這い上がったかのような感覚がわたしを襲います。「ひゃふぅん」と自分でも気持ち悪くて反吐が出そうなほどのピンク色な声を上げると、「ふふっ」と後ろから楽しそうに笑う声が聞こえて来ました。ばっと後ろを振り向くと





「今日は早いんだね」





そうです。幸村くんです。さっきの生暖かい空気を耳元に送り込んできたのは、どうやら幸村くんのようです。満面の笑みで「耳、弱いんだね」と自身の唇を人差し指で押さえてわたしにウインクを送る幸村くんはまるでアイドルのようです。唇を押さえたということは、きっと耳元に送られて来たのは幸村くんの吐息。色に例えれば、きっと桃色な幸村くんの吐息。こんなの耳に直撃したら普通は卒倒ものですが、一昨日と昨日でちょいとばかし耐性がついたので、気絶はせずに済みました。
ただただ顔が熱くて、耳もついでに熱くて、「いきなり何すんですかあんたドSですか」と罵倒することも出来ず、口をパクパクとさせて、陸に揚げられて息が出来ない魚みたいに何も言えずに苦しく喘ぐわたし。








「いっいいいいぃいぃ〜きなり何するんでィ!」








やっとのことで紡ぎ出せた言葉はなんか江戸っ子調。動揺しすぎです、わたし。息吹きかけられただけで、こんなになってったら心臓がいくつあっても足りないですよ、わたし。「あはは。さん、ブン太みたい」と笑う幸村くんの笑顔はキレイすぎて、眩しくて。こんなに嬉しそうに笑うなら、まぁ喜んでるみたいだしいっかな?と思いつつつも、やっぱり自分が笑われるっていうことは気持ちがいいものではありません。笑ってばっかりの幸村くんに対してムッとしながら、ちょっと挨拶をします。






「…おはようございます、幸村くん」

「おはよう、さん。『ひゃふぅん』だなんて、朝からAVもビックリな声をありがとう。今朝は控えめにしかご飯、食べてなかったんだけど、お陰でお腹いっぱいになったよ」

「………変態め」

「はは。光栄だね」






爽やかにちょっぴり下ネタを言って笑う幸村くんにそこはかとない殺意を感じつつも、笑顔を頑張って張り付けるわたしはとってもお利口さん。あぁ、わたしってばこんな人に謝ろうと思って、がんばってはりきってお菓子を作ったというのですか。人の耳に息を吹きかけビビらせるだけでなく、朝から下ネタをぶちかまし、しかも「驚かせてゴメンよハニー」など、謝罪の一言も無いのですか、幸村さんよ。そう考えると自分だけヘコヘコするのもフェアじゃないですよね。幸村くんもわたしに失礼ぶちかましてますよね。冗談とはいえ、なんか癪に障ります。段々、腹立ってきました。こんなもの、さっさと自分で食べてしまいましょう。申し訳ないと思っていた、ちょっと前までの自分が阿呆らしくて仕方がありません。







「あれ?その袋、なに?さん」







心をまるで読んでいるかのように幸村くんはニッコリと、わたしが抱える紙袋をしげしげと見つめます。目敏いですね。





「何でもないです」

「何でもなくはないんじゃない?可愛くラッピングなんかしちゃってさ。誰かにあげるとか?」

「別に。そのような予定は毛頭ありませんが」

「自分で食べるのにラッピングするんだ。へぇー」

「そうです。何事もキレイな方がわたしは好きなんです」






ぷいっと幸村くんから思いっきり目を逸らして、そっぽを向いてみました。幸村くんは依然、笑っていて「嘘ばっかり」とわたしに言います。かと言って「はい嘘です」なんて言いませんが。幸村くんは「さん」とわたしの名前を呼ぶと、何が嬉しいのか、やっぱりニコニコしていて。わたしに向かって手のひらを上に向け、両手を差し出します。





「ちょうだい」





まるで小さな子がお母さんにおやつを強請るかのように、手を突きだし小首を傾げる幸村くん。こんな子どもっぽいポーズを取っても様になるのが、幸村くんたる所以なのかもしれません。けれども安易にあげてしまってはいけません。わたしは怒ってるんです。えぇ、アングリーしてるんですよ。そんな簡単に今までのことを許せるほどわたしは寛大ではありません。そうですとも、所詮わたしは狭量な人間です。








「いやですよ。朝から人をAV扱いする人にあげるものなんてありません」

「えぇ〜?」

「いやなものはいやです」

「ねぇ、ちょーだい。お願い」

「い・や・で・す」






まさかわたしが頑なに拒否をするとは思っていなかったのか、幸村くんの機嫌がちょっと悪くなり始めました。昨日の朝のように、険悪なオーラを出して「けち」と一言わたしに言います。ほっぺたを膨らませてむくれる幸村くんは本当に子どもみたいです。
幸村くんが、まさかこんな子どものように拗ねられるとは。お付き合いする前でしたら到底考えられるものではありませんでした。幸村くんと言えば温厚な方で、誰にでも優しく、いつも柔和な笑みを称えた聖人のような方だと思っていましたが、いざ接してみると下ネタも言うし、子どものように拗ねてみたり、今まで雲の上の存在に感じていた人ですが、わたしが思うよりも彼は庶民に近い人間なんだ、わたしたちと変わらないって。そんな気がします。

そう思うと、そっぽを向いている幸村くんを見て、いつまでも意地を張ってるのも大人げないですかね。
そうですね、大人にならないといけませんよね。
わたしは「幸村くん」と声をかけて、ずいっと手に持っていた紙袋を突き出しました。







「どうぞ。差し上げます」





けれど、完全に許したわけではありません。ちょっと許しただけです。人をAV女優にする人は信用なりません。そうです、言うのは2回目ですがわたしは狭量な人間なんです。幸村くんをちらっと見れば、さっきまでのむくれた顔はどこへやら、にっこりと微笑み「ありがとう」とわたしの手にあるお菓子を受け取っ…




たかと思いきや。





幸村くんの顔は笑顔ではなく、またわたしに向かってクスリともせず、ただ眼を大きく見開かれていました。なんと言うのでしょうか。あ然、という言葉が似合うくらい驚いた表情でわたしを見られていました。それから「本当にくれるんだ」と、さっきまで「くれ」と言っていた人の台詞とは思えないくらい、謙虚な台詞が飛び出して来ました。




これにはわたしがびっくりさせられました。




「何でですか?いらないんですか?」







驚きついでに、思ったことがポロリ、とじゃじゃ丸とじゃピッコロをほっぽって出てしまいました。無意識にわたしが言った言葉は、幸村くんの耳にちゃぁんと届いていたようで、「うっ…ううん。いる!」とかっさらうかの如く、幸村くんはわたしの手から袋を奪いました。焦らなくても、お菓子は逃げませんのにね。

幸村くんはお菓子の袋をわたしから奪うと、それを大事そうに胸に抱えて、ほっと一息つかれました。その顔には安堵や喜び、わたしは幸村くんじゃないのでわかりませんが、プラスの感情が出ていることは確かです。だって、まるで今の幸村くんは宝物を大事そうに抱えている子どもみたいなんです。嬉しそうに笑って、喜んでいただけているようにわたしには見えます。

よっぽど欲しかったのかもしれません。わたしが作ったお菓子。や、わたしのプレゼント。そう考えると、わたしって本当に幸村くんにすっ…好いていただいているんだな、と実感します。朝からこっ恥ずかしい…これが、カップルというものですね、そうなんですね。






「ありがとう、さん」と今度こそにっこり微笑まれたその顔は、やっぱり子どものような邪気のない、屈託のない笑顔で。その笑顔が眩しく、またとても綺麗に見えました。その瞬間、ボッと火がついたように全身が熱くなってしまい、思わず幸村くんから眼を逸らして「いえ」とぽそっと聞こえるか聞こえないくらいに呟いてしまいました。わたしはきっと、幸村くんというお日様に燃やされてしまったのでしょう。違いありません。だからこんなにも身体が熱いのです。




上機嫌で「あっお菓子だぁ」と袋を開けて喜ばれる幸村くんとは対象的に、終始無言でもじもじしているわたしはさぞ、滑稽なんだろうなぁ。




そんな事を思いつつ、2日目が終了しました。